顔がいい男女が物語に及ぼす影響が好きという話【創作論っぽいもの】
初めに、前提としてこれは創作における美男美女の話であり、現実にあてはめる話ではないことをご承知おきください。
「この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません」というやつです。
前語り「犬と屑」
先日、「犬と屑」という漫画を一気読みしました。
X(旧Twitterくん)を眺めていたら、広告で目にしたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか? 自分は結構広告漫画に目を止めてしまうタイプなのですが、この作品は単純に絵が上手くてヒロインの顔がいいという理由で読み始めました。
既に完結した漫画なのですが当時は週刊ヤングマガジンにて連載されていた作品だったようで、青年誌に掲載されていたらしいじっとりとしたお話しです。
眉目秀麗で勉強も運動もなんでも出来る幼馴染に劣等感を抱きながら大人になった主人公が、その幼馴染の妻であり初恋の相手である彼女と地元で再会。彼女から幼馴染と別れたこと、お腹の中に赤ちゃんがいることを告げられた主人公が、罪悪感を抱きながらも彼女との同棲を始めるサスペンス。
Xで惹かれた通り、とにかくキャラクターの顔がいい。そして、サスペンスだしタイトルに屑の字が入っているような作品なので登場人物の誰もが優しいなんてことはないけど、過剰ないじめ描写とか主人公を落とし続けるような展開もなく、比較的安心した気持ちで読み続けることが出来ました。
巻数は全五巻と軽めだったので寝れない夜に一気読みして、面白かったなーと感じた作品でしたね。
と、唐突に最近読んだ漫画紹介から始まった本記事ですが、本筋はここではないので感想語りはこの辺にして。
閑話休題。本題である、顔がいい男女の話をしましょう。
設定上「顔がいい」キャラクター
先に挙げた作品は、主人公の幼馴染やその妻といった、設定上の美男美女が登場します。
そして、今日の本題を語る上で大事になってくるのは設定上という点。
顔の良さだけで語るなら、「犬と屑」の作者さんはそれはもう絵が上手なので大半のキャラクターが美男であり美女です。ですが、意図的に造形を崩すことがない限り、プロの絵師や漫画家が描くキャラクターは大抵顔立ちが整っているもので。
だから、ここで語るのは作品内で明確に美男美女として描かれているキャラクターと、そうでない普通の少年少女青年として描かれているキャラクターの違い。
そして、その設定上顔がいい男女が物語に与える影響が好きという話になります。
自分は、顔がいいキャラクターが好きです。
ミーハーですが、やはり容姿が整っている存在には惹かれるものがあります。
メラビアンの法則――第一印象の55%は見た目で決まるなんて通説にもある通り、やはり容姿とはその人間を語る上で切っても切れないものです。特に社会的地位とはまだあまり縁がなく、年齢的に価値基準が狭くなって仕方がない学生の頃などは、容姿が周囲に与える影響は大きい事でしょう。
顔がいいからもてはやされたり、逆に顔がいいせいでいじめられたり。
自作の物語だと、幼馴染が美少女だったからいじめを受けた少年や、顔が良かったせいで殺されたキャラクターも存在したりします。
顔がいいことの功罪と責任――とまで語ると話が大きいですが、それほどまでに容姿が及ぼす影響は強いと。
そして、だからこそ顔がいいキャラクターが作品に登場した時、その美貌がストーリーにどのような影響を及ぼすかで作品の雰囲気が決まると思っています。
容姿が及ぼす影響はキャラクターの魅力
冒頭に紹介させていただいた「犬と屑」も容姿を比較され生まれたコンプレックスや、美貌のせいで生まれる嫉妬や諍いが描かれています。
次の七月よりアニメ二期が放送される「推しの子」も、優れた容姿やカリスマ性の及ぼす社会への影響が物語に組み込まれる例と言えるでしょう。もっとも、「推しの子」についてはそれ以外にも才能などの他要素も多分に含まれているので、あくまでも話の一部としてではありますが。
また、それとは逆に顔の良さが及ぼす影響を意図的に無視する作品もあります。十把一絡げに語れるものではないですが、「ぼっち・ざ・ろっく!」をはじめとした所謂きらら系と呼ばれる作品群であったり、容姿から生まれる負の感情がノイズとなる作品からは排される傾向にあることでしょう。
もちろん、どちらが優れている劣っているということはありません。
実際、その美貌が物語に影響を及ぼした例として「七不思議の七番目 幸色の厄災ちゃん」を。美貌の及ぼす影響がノイズになると判断し、主人公以外から一切容姿に言及しないよう心掛けた例として「従妹を大学へ連れていく!」を制作しています。
どちらを選ぶことが作品にとってプラスに働くか。顔がいいという設定が持つ絶大な影響力を理解した上で判断出来れば、組み込んでも組み込まなくても良い作品になることでしょう。
ただ、それらを踏まえた上で、自分は顔がいい男女が物語に及ぼす影響が好きなのです。
容姿とは、生まれもった絶対的な才能であり、その評価からはどうあがいても逃れられない呪いでもある。
生涯――とまでいうといささか過剰かもしれないが、幼少期から青年期にかけては必ず触れられるものであり、そのキャラクターの人格形成に多大なる影響を及ぼすことでしょう。少なくとも、自分はそう考えているし、その前提でキャラクターを作っています。それは、作品内で容姿に触れても触れなくても同じです。
自分の美貌を理解し、それを武器として振り撒くナルシスト。自分の相貌に劣等感があり、人と話すのが苦手となった引っ込み思案。その優れた容姿に無自覚であり、優しさの理由を善意と取り違えている箱入り娘。平凡な見た目を自覚し、顔がいい人間となるためイメチェンを試みる努力家。
顔がいい人間は、顔がいい人間としての扱いを受けて育つ。故に、彼らにとっての美貌がもたらす恩恵と厄難は日常的なものであり、誉め言葉の一つや二つで靡くことはなく、気遣いと優しさは人間が持っていて当然の素養であると認識しているのである。
――とまで話を飛躍させてしまうと、自論でしかないのですが。なんにせよ、顔がいい美男美女なら顔がいいなりの扱いを受け、ぱっとしない見た目なら相応の扱いを受けており、そしてその無意識的な扱いの差が、キャラクターの思考と自尊心を作り上げると自分は考えています。
顔がいいという設定を、ただの記号として消費してしまうのはあまりにももったいない。その美貌が及ぼす影響は、キャラクターの魅力を大いに引き出してくれる最高のスパイスなのだから。
これからも、顔がいい男女の物語を読んで書いて楽しんでいきたいと思います。
おわりに
最後まで読んでいただきありがとうございました!
今後は作っているゲームの進捗を書きつつも、合間合間にこういった創作全般の話もしていけたらなーって思っています。
次に書くのは次回作の話か、あるいはもう一つ創作話のネタを考えてはいるので、そちらになるかもしれません。
ではでは~。
おまけ
前語りで紹介した「犬と屑」より、第一話の鷲見さん。
闇がありそうな美人、最高に好き。