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なぜ20代でやりたいことを仕事にできたのか?30代で経済的自由な次のステージのフローと至高の遊び

20代で経済的自由な生活になった。

サラリーマンとして働いた銀行を辞め、サイドFIREとして「やりたいこと」を仕事にした結果、20代で資産は1億円を超えました。

毎日、「やりたいこと」を仕事にしつつ経済的に自由に暮らしていましたが、ある時から「働かない生活」になっていました。

ただ、残念ながら、何もしない生活は、幸福ではありませんでした。

今回は「なぜ、仕事をやめたのか」の話。
失敗をしたからこそ、次のステージへ行くための「フロー」と「至高」と「遊び」をテーマに対策をしている様子を紹介します。
働かなくなった自由な生活がもたらした成功と失敗、SNSでは言えない裏と表の経験談を赤裸々にまとめていきます。

▼ 自己紹介のnote

■ なぜ、働かなくなったのか?

「やりたいこと」を中心に仕事をした結果、資産は増えたものの、現状に満足してしまい反骨心がなくなりした。

「苦痛をなくすよう」に働いた結果、働くこと自体に疑問を持ちはじめました。そもそも「仕事を辞めてもすることない」と思うFIRE反対派だったにも関わらず、結果として「働かない生活」となってしまいました。

▼ 前回のnote

■ やりたいことを仕事にした20代

7年前、僕はサラリーマンを辞め、フリーランスの個人事業主として独立しました。いわゆるサイドFIREのような形で、仕事をしながらも余暇を十分に楽しむ生活を始めたのです。

独立後は「やりたいこと」に積極的に挑戦しました。フリーランスとしてウェブサイトを制作したり、そのサイトを数百万人が閲覧するメディアに成長させたり、YouTubeやTwitterなどのSNSを活用して集客を行ったりと、主にIT関連の事業を展開してきました。幸運にも時代の波に乗れた結果、事業が成功し、20代で富裕層に入るほど資産が増えました。

気がつけば、一生暮らしていけるほどの資産を築き、経済的自由でリタイアした「働かない生活」を送れるようになっていたのです。

この経験から、やりたいことを仕事にすることの可能性と、それがもたらす自由を実感しました。ただし、これは単なる偶然ではなく、時代の流れを読み、積極的に挑戦し続けた結果だとも言えます。

若いうちから自分の興味や才能を活かせる道を探り、それを仕事にできれば、経済的自由だけでなく、精神的な充実も得られるのです。あなたは、充実した人生を送れていますか。もちろん、すべての人がこのような成功を収められるわけではありませんが、自分の情熱を追求することの価値は計り知れません。

■ やりたいことが時間を忘れさせる

「やりたいこと」を軸にする理由は単純です。自分の最大限の力を発揮できるからです。「気がついたら寝食を忘れていた」「時間が経つのを忘れるほど集中していた」という没頭状態を仕事にできれば理想的です。

心理学者のミハイ・チクセントミハイが著書『フロー体験 喜びの現象学』で提唱している『フロー体験』にもあるように、人が何かに没頭しているときに感じる、時間の感覚が失われるほどの集中状態になれば、仕事も楽しくなります。この趣味に集中して没頭するような体験を仕事で感じることができれば良いわけです。

もっというと、欲求階層説を唱えた心理学者のアブラハム・マズローがいう『至高体験』を体現できれば自己を超越する能力を発揮できます。「至高体験」は、自己を超越する能力を発揮できる状態を指します。至高体験は人生で最も幸せな瞬間や恍惚とした感覚を指し、自己実現を超えた「超越」のステージに関連しています。創造的活動、スポーツ、哲学的洞察など、様々な場面で起こり得ます。

アニメで例えるなら、「ドラゴンボール」で悟空が「スーパーサイヤ人」になる時や「鬼滅の刃」で炭治郎が鬼との死闘で「アザ」がでて「ヒノカミ神楽」を放つ状態、「ワンピース」でルフィが太陽の神ニカになる「悪魔の実が覚醒」した卓越した状態です。

つまり、やりたいことで時間を忘れて集中する「フロー体験」や、自己を超越する「至高体験」ができる状態を目指せば、大きな可能性が開けます。これらの体験を日常的に味わうことで、人生の質は大きく向上するわけです。

自分の情熱に従い、挑戦し続けることで、より多くのフロー体験を得られます。さらに、フロー体験を超えて至高体験までレベルアップできれば、より充実した人生を送れるという思考です。

■ やりたいことをマネタイズする方が向いていた

何よりも良かったのは、自由に伸び伸びと、誰にも邪魔されず、好きなようにアイデアを実行できたことです。

サラリーマン時代は、会社に雇われているため、会社の方針や上司の指示に従わなければなりませんでした。上から押し付けられた環境での仕事は、僕自身全く合っていませんでした。

振り返ってみると、この感覚は学生時代から見られました。小学生や中学生の頃、義務教育でもストレスを感じていました。毎日決まった時間に起き、遠距離を通学し、将来の使い道が不明確な授業をただ机に座って聞くだけの生活は苦痛でしかありませんでした。

また、「立派な大人」というステレオタイプな将来像を追い求められることにも違和感がありました。受験勉強のための暗記や、テストで良い点を取ることで褒められる世界観にも馴染めませんでした。

だからこそ、自分に合った働き方を模索するようになりました。結果として、やりたいことを自由に追求し、それをマネタイズする方法が僕には合っていました。

■ 10代から原因不明の睡魔

僕が「普通の生活」にストレスを感じていた大きな理由の一つは、体質的な問題でした。小学生の頃から、授業中によく寝ていたのです。授業では気づいたら寝ていました。厄介なのは、テスト中も寝てしまうことです。普段の定期テストはもちろん、受験本番でさえ突然眠りに落ちてしまいました。いろいろと対策を試しましたが、結局寝てしまい、テストはまともに受けられたことはありません。

この睡魔は日中いつでも襲ってきます。サラリーマン時代は、仕事中に作業しながら寝たり、商談で会話をしながら寝たりしました。さらに危険なことに、車の運転中に眠くなり事故寸前の経験も何度かあります。

睡眠障害の可能性を考え、何度も睡眠時の脳波測定や日中の眠気や睡眠時の呼吸に関する検査を受けました。小さな病院から大きな病院まで様々な医療機関で診てもらいましたが、結局原因はよくわからないままです。

授業中に寝ている態度は先生からの評価が良くなく、何度も呼び出されて怒られました。テスト中に寝てしまう生徒は聞いたことがないため、全く理解してもらえませんでした。

どの社会でも仕事をしながら寝ることは言語道断ですし、運転しながら寝てしまえば事故になりかねません。幼少期から理解されない環境で窮屈に感じていました。だからこそ、やりたいことが自由にできる環境に憧れを抱いていたのかもしれません。

人は少なからず誰にも理解されないことがあるはずです。正直、人は相手が考えていることを100%理解することは不可能です。だからこそ、コントロールできないことはあきらめ、自分がコントロールできる範囲のことに集中すべきです。

僕自身、まずコントロールできることとできないことを意識してきました。そして、得意なことややりたいことを軸に、それらを伸ばしてきたのです。​​​​​​​​​​​​​​​​

■ ビジネスは自分の得意を伸ばせる

自分自身でゼロから意思決定できるフリーランスの環境は、僕にすごく合っていました。やりたいことを、自由に自分のタイミングでできるため、最も集中できる時間に取り組むことができたのです。

眠たくなれば寝ていいし、集中できる時は何時間でも没頭できるのです。

僕の得意なのは「やりたいこと」をベースにビジネスモデルを作り込むことです。これまで「これが儲かるから」「あれが稼げるから」という理由だけで事業をつくったことは一度もありません。

全て「やりたいこと」「おもしろそうなこと」「やってみたいこと」に重きを置いて仕事をつくってきました。言い換えれば、趣味の延長線上にある仕事です。理由はシンプルで、やりたいことでなければ継続できないからです。

人生を最大限楽しむためにも、趣味に没頭する感覚でフローの状態になりながら、集中できることを仕事にしてきました。​​​​​​​​​​​​​​​​僕のように、社会不適合な人間でもできるからこそ、あなたにもできるはずです。

■ ビジネスは終わりのない競争

ただ、やりたいことをビジネスにする思考には、欠点があります。それは競合との戦いに弱いことです。例えば利益追求を最優先する企業や個人との競争に負けてしまう点です。

ビジネスの世界では、アイデアの模倣という名の盗作や激しい競争は珍しくありません。僕も著作権や肖像権の侵害にあたる盗作をされたことが何度かあります。また信頼していた人が裏で攻撃的な誹謗中傷をしてきたことや数百万円の盗難被害を受けたこともあります。

世の中には表面は人が良さそうに見えても、裏で人を陥れようとする人もいます。信頼した人に裏切られることもよくあることです。

よくあることだからこそ、ビジネスに関する想定内のデメリットとして受け入れなければなりません。常識的なモラルやマナーは関係なく、あらゆる手を使って攻撃されることも踏まえたうえで、競争しなければ生き残れないとも言えます。

■ 人間の嫌な部分を見て嫌気がさした

仕事を続けていく上で、人間の嫌な部分もどんどんと見えてきました。やりたいことをビジネスにするために仕事を始めたにもかかわらず、いつしか働くこと自体に嫌気がさしていました。

働くことは単なる金銭獲得の手段ではありません。働くことは自己実現の手段であり、社会に価値を提供する方法です。だからこそ、人を騙して、嘲笑って、貶めるような「利益最大化のためなら何でもしていい」という人を受け入れられませんでした。

ビジネスは社会をより良くするためにあるべきだという理想主義的な考えを持っていたからこそ、ある時から「やりたいこと」だったはずのビジネスに嫌気がさし、次第にやりたくないことへと変化していきました。

テイカー気質な人間が好きではありません。サラリーマン時代も「出世のためなら後輩を貶めていい」という考えの上司に嫌悪感を抱いていました。独立して自分で仕事を始めてからも、「自分さえよければ何をしてもいい」という人や企業には強い違和感がありました。

理想としては、みんなで共に成長し、組織全体を俯瞰しながら楽しめる環境が望ましいと考えています。しかし現実には、多くの人が自己利益のために動いてしまうのです。

嫌気がさしながらも、がむしゃらに奔走した結果、気づけばある程度の資産が蓄積していました。だからこそ、一旦、仕事を休んで完全にリタイアしてもいいかなという気持ちになりました。

ビジネスの現実と理想のバランスを取ることの難しさを経験しました。同時に、経済的な余裕ができたことで、自分の価値観に合った新たな挑戦への可能性も見えてきたのです。​​​​​​​​​​​​​​​​

■ 経済的自由な遊ぶように仕事をする働き方

現在、「遊ぶように仕事をする」働き方を取り入れています。

売上や利益を競うようなビジネスモデルは、結局競争を強いられ嫌気がさしてしまうからこそ、別の場所で働くという選択を取ることにしました。

要するに、趣味を楽しむように遊ぶ要素を本質に取り入れた働き方をすれば、テイカーとの競争をする必要はないし、盗作されることでデメリットを被ることもありません。

要するに自分自身と向き合うことが仕事になるのが「遊ぶように仕事をする」という意味です。

ヨハン・ホイジンガの1939年に刊行された著書『ホモ・ルーデンス』にもあるように、人間の本質は「遊ぶ人」です。ホイジンガは「遊び」を単なる余暇活動としてではなく、文化や社会の本質的な要素として捉えました。

仕事と遊びの境界を曖昧にし、より創造的で充実した生活を送るのがよいということです。

この本が書かれた1930年代後半は、第二次世界大戦の前夜であり、ヨーロッパが大きな緊張に包まれていた時期でした。にもかかわらず遊びが文化の基礎にあると主張した画期的な著作です。

この視点を仕事にも応用すれば、より興味深い洞察が得られます。ホイジンガの理論を現代の労働環境に合わせながら、「遊ぶように仕事をする」のです。

遊びとは自発的に行動し、時間を忘れるほど没頭でき、かつ喜びがあり、日常から切り離された特別な空間と時間の共通点があります。

これらの要素を仕事に取り入れることで、より充実した職業生活を送れる可能性があるわけです。

だからこそ「遊ぶように仕事をする」働き方を徹底しています。遊ぶように楽しく仕事に没頭する「フロー体験」を目指すのがおもしろい。時が経つのを忘れるほど集中したときに自己超越するような「至高体験」が得られるように楽しめばいいのです。

フロー体験や至高体験を何度も経験できるような働き方は、より創造的で充実した人生を送る鍵です。あなたも、自分の仕事に「遊び」の要素を取り入れてみてください。仕事への新たな視点を与え、より充実した人生の選択をしましょう。​​​​​​​​​​​​


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