見出し画像

『フォンターネ 山小屋の生活』パオロ・コニェッティ 関口英子 訳

人里離れた場所にひとりで暮らす生活に憧れる。昔のことになるが『独りだけのウィルダーネス』という本を読んでその気になり、北欧製のキットを買って近隣の山中に丸太小屋を建てたことがある。休日にバルコニーで読書したり、石を組んだ炉で焚火をしたり、愉しいときを過ごしたが、豪雨による土砂崩れで道が不通になり、足が遠のいた。何年かして道が通じたので行ってみたが、扉の鍵が錆びて開かなくなっていた。

手入れして使えないこともないが、今となっては体力がない。そんなわけで、近頃は本を読むことで憧れを満たすことにしている。最近読んだものでは『結ばれたロープ』『ある一生』『帰れない山』などがお気に入り。『フォンターネ 山小屋の生活』は小説ではない。三十歳でスランプに陥って書けなくなった作家が、春から秋にかけて山小屋でひとり苦闘した日々を綴ったものだ。『帰れない山』を発表する三年前のことで、前日譚の趣きを持つ。

ミラノに住む「僕」は、今やすっかり都会っ子だが、子どもの頃は夏の二カ月間、南にアオスタ渓谷を囲む峰々を臨むホテルに陣取り、毎日、岩壁をよじ登ったり氷河を渡ったりした。鬱々とした日々『ウォールデン 森の生活』はじめ、荒野(ウィルダネス)での孤独な日々を綴った本を読むうちに自分の失くしたものに思い至り、標高千九百メートルに建つ山小屋を借りることに。かつて高地放牧の季節に家畜や牧人のために建てられた小屋で、家畜小屋だった一階が寝室と浴室、ソファーの置かれた二階がキッチンと居間にリニューアルされている。電気も通じ、泉からポンプでくみ上げた水が蛇口から出る。

四月の終わりに山に入ると、小屋のあるあたりに人は誰もいなかった。季節外れに降った雪を心配して小屋の持ち主のレミージョがやってくるまでの二週間、「僕」は完全な孤独の中にいた。体が高地に慣れるまでは、眠ることさえ難しかったが、慣れてくると活動を開始した。たどれる道はすべてたどり、地図を書き、見つけたものをノートに書き留めていく。兎やアルプスマーモット、ノロジカ、アイベックス、狐、といった動物たちの様子や、かつてそこに住んでいた人々の生活を物語る道具などの来歴を。

「僕」は望んで孤独な暮しをはじめながら、レミージョの顔を見たとき、人に会うことを喜んでいる自分を発見する。六月が来ると、高地放牧をする牛飼いたちが山にやってくる。牛を追う三匹の番犬とも仲良くなる。首につけた小さな鐘が鳴るので、近づいてくるのが分かるのだ。犬たちは小屋にやってきてはチーズの皮をねだるようになる。ガブリエーレとは、はぐれた牛を連れ戻してやって仲良くなった。力が強く声も大きい男で村で暮らすには何かと規格外れで、山で暮らしているという。

彼が連れてきた牛は低地の人のもので、自分の牛ではない。資産と呼べるものはほとんどなく、冬の間はスキー場で働いているという。ガブリエーレに言わせれば、わざわざこんな暮らしをしている「僕」もまたアウトローで、世を拗ねた者同士、互いに小屋を訪ね合うようになる。「僕」が、トマトソースのスパゲッティやポテト、腸詰めを料理し、一緒にワインを飲む。昔の山の暮らしを語るガブリエーレの話のたねが尽きることはなかった。

七月にはレミージョを手伝って秣を刈った。仕事終わりにビールを飲むうちに関係が深まる。彼の父親は猟師であり、大工であり、物語作家でもあった。狩りや大工仕事を父に教わり、大きくなったが、深酒をするようになった父は、人が変わってしまった。衰弱し、入退院を繰り返していた父は畑で倒れて死ぬのだが、亡くなる前の晩つらく当たったことが彼を苦しめていた。レミージョは読書家でサラマーゴやサルトル、カミュを読んでいた。一緒に山を歩くうち、中腹にある小屋の話を聞かされる。父が彼に遺したもので、天然の岩壁を背にし、残る三方を岩壁で囲んだ小屋だ。『帰れない山』に登場するあの小屋である。

夏になり、観光客が大勢やってくると動物たちが姿を消してしまう。動物の後を追うように「僕」もリュックを背に山を放浪するようになる。そんな中、登山小屋で働く同年輩の二人に、自分も働かせてくれと頼み込む。あたりの佇まいが気に入り、しばらく留まってみたくなったのだ。登山小屋で働くアンドレアはまるでもう一人の自分のようだった。不思議なほど気が合ったが、もう一人の自分と始終顔を突き合わせているのは愉快なことではなかった。最後に一緒に山に登り、頂上で別れのワインを空けて登山小屋を出た。

その帰り道、ガレ場で遭難しかけた「僕」は、自分が少しも成長していないことに気づく。「孤独は、森のなかの小屋というより、鏡の家に似ていた。どこに目をやろうと、歪んで醜い自分の鏡像ばかりが際限なく増殖されていく」。冒険は失敗に終わったのだ。小屋に戻った「僕」は新しいノートにフォンターネの樹々の頌歌を書きはじめる。ある日ガブリエーレが一匹の犬を連れてくる。放牧犬には向かないという。試しに山歩きに連れて行くと喜んでついてくる。犬の名はラッキー。「僕」は、レミージョとガブリエーレと三人で最後の食事をし、犬を連れて山を下りることを決める。

確執のあった父の遺作の山小屋、高さや速さを競うのでなく、自分が未踏のルートを探し、知らない山をめぐる山の楽しみ方、気のあった友との山歩き、と『帰れない山』を思わせるエピソードが詰まっている。冒険は挫折に終わるが、渦中の出来事を書いた文章には、清冽な山の息吹きと孤独な心の葛藤が溢れていて、優れた山岳小説を読むようなしみじみとした感動を味わうことができる。人といるより独り居が好きで、本を読んだり、動物と心を通わせることを愛する人に読んでほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?