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〈ワルター・バリリ〉とモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ。

 ワルター・バリリ(Walter Barylli)が亡くなったことを先日知りました。

 老いてなおかくしゃくと生き、100歳で天寿を全うされたとのことです。ご冥福をお祈りします。

 バリリは、ウィーン出身のヴァイオリン奏者で、私にとって忘れられない経験とつながっています。 

 ぜひ記事にしたいと思いましたので、少し長くなりますが、しばらくお付き合いいただければ幸いです。


 バリリが、今年の2月に亡くなっていたことを知ったのは、先日、noteで〈Barylli〉さんの記事を拝見したときです。 

 〈Barylli〉さんは、ワルター・バリリの音楽を心から愛されている方で、このハンドルネームはバリリに因むとのことです!やはり。

 バリリについて素敵に紹介されています。とても詳しくていねいにまとめていらっしゃるので、私の拙い紹介文を書かずに済み助かります。

 Barylliさん、ありがとうございます。(バリリ存命中の記事です)

 さて、ワルター・バリリ(Walter Barylli)と私とのはじめての出会い。

 それは、いまから50年ほどもさかのぼります。

 運良く希望の大学に入った私は、FM放送で毎日のように音楽、主にクラシックを聴いていました。  

 FM放送は当時黎明期で、NHKが先発、その後大阪地区ではFM大阪などが順次開局していくことになります。
 家に、コンソール型のステレオ(懐かしい真空管式)がありましたが、FM放送開局以前の製品だったのでレコードとAM放送しか当然聴くことができません。
 そこで、ソニーの携帯ラジオを買って、毎回手動で各局の周波数にダイヤルを合わせて聴いてました。
 アルバイトをして、念願のステレオのコンポートネント(T社のレシーバー、M社のスピーカー、P社のアナログプレーヤー)を買ったのは少し後のことになります。

 いいなと思った曲はメモしておいて、レコードを買うときの参考にしていました。 

 そのうち、モーツァルトの曲が自分の好みだと気づくようになって、伝記なども学校の図書館で借りました。 

 アンリ・ゲオン著『モーツァルトとの散歩』、ジャン=ヴィクトル・オカール著『《永遠の音楽家》モーツァルト』(共に高橋英郎訳、白水社刊)などをよく読みました。 

 ある日、いつものようにFM放送を聴いていると、〈ジョージ・セル〉のピアノ、〈ラファエル・ドルイアン〉のヴァイオリンによるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタをお届けします、というナレーションが流れました。

 えっ?、ジョージ・セルなら指揮者のはず。それに、ラファエル・ドルイアンってだれ?と疑問が浮かびましたが、とにかく聴きました。 

 ハ長調K.296のヴァイオリンソナタ。

 第1楽章の小気味良いリズム、第2楽(6'08"-)の優美でたゆたうような心地よさ、第3楽章(12'35"-)の伸びやかな疾走感。

 すっかり曲に魅せられてしまいました。

 最近YouTubeでその演奏を見つけました。嬉しいことです。

 少し話がそれますが、ジョージセルは、クリーブランド管弦楽団の当時常任指揮者。

 ブラスバンドの部長をしていた友達からの強い勧めで高校時代に買った、ドボルザークの交響曲第9番『新世界より』のレコードを持っていました。
 クリーブランド管弦楽団は、セルの薫陶による究極のアンサンブルが特色で、各パートがあたかもソロのようにぴたっと合っていると当時評判でした。
 ジョージ・セルが、当初はピアニストを目指していたことや、クリーブランド管弦楽団のコンサートマスターが、ラファエル・ドルイアンだったことはのちに知りました。
 合衆国で活躍しましたが、セルもドルイアンも出自はヨーロッパです。

 話を戻します。

 この演奏を聴いた私は、レコードが是非ほしいと思い、学校帰りに、いつもの京都は四条烏丸の〈十字屋楽器店〉(現JEUGIA)へ行って探しましたが、セル盤は見当たりません。 

 では、他の盤にしようと、K.296が収められたレコードの中で手にとったのは、裏面に「ウェストミンスター 不滅の名盤シリーズ」と題したものでした。 

 ブルーの地のジャケットの中央に、古城らしい石造りの建物の写真を配したもので、たたずまいを好ましく思いました。(シリーズもののため、先発のオリジナルのジャケットとは異なるデザインのようです)

 それが、〈ワルター・バリリ〉のヴァイオリン、〈パウル・バドゥラ・スコダ〉のピアノによる、モーツァルトのヴァイオリンソナタとの出会いでした。

 ここで、ピアニストのパウル・バドゥラ・スコダについても触れておきましょう。出典は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』です。

 パウル・バドゥラ=スコダ(Paul Badura-Skoda,1927年10月6日 ウィーン-2019年9月25日 ウィーン)は、オーストリアのピアニスト・音楽学者。イェルク・デームスや、フリードリヒ・グルダとともに、いわゆる「ウィーン三羽烏」のひとり。
経歴
 1945年からウィーン音楽院に学び、1947年にオーストリア音楽コンクールに優勝し、その結果エトヴィン・フィッシャーの薫陶を受ける。1949年にヴィルヘルム・フルトヴェングラーやヘルベルト・フォン・カラヤンらといった著名な指揮者と共演する。1950年代には、米国と日本を訪れた。    
 録音数は膨大で、200点以上に達するが、ウィーン古典派、とりわけモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの専門家である。自筆譜や歴史的楽器の蒐集家としても有名。エファ夫人ともども碩学をもって名高く、揃って『新モーツァルト全集』において、ピアノ協奏曲第17番、第18番、第19番の校訂者を務めた。      
 1976年、オーストリア政府よりオーストリア科学芸術功労賞を授与。また、マンハイム大学より名誉教授の称号を授与されている。

 以上、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 スコダも、91歳という長寿を全うしたんですね。

 バリリとスコダという稀有な才能の組み合わせが生んだのが、珠玉のモーツァルトのヴァイオリンソナタです。

 話を戻します。


 それは、運命のようなものだったかもしれません。

 レコードを持ち帰ってA面から聴き始めました。

 K.296ハ長調、第1楽章。


 セルとドルイアンの演奏と比べて、こちらはウィーンの香りみたいなもの、フワッとしたあたたかさみたいなものを感じました。甘すぎず、辛すぎずの自然な中庸感がここちよかった。

 例えてみれば、ウィーンはホテルザッハーの名を冠されたチョコレートケーキ〈ザッハートルテ〉のようなもの。
 甘さと苦さのせめぎ合いを生クリームが、まあお二人さんそう意地を張らないで仲良くね!と融和させ、一口ごとに舌の感覚を中和して、その味わいの幸福感で飽和させるのですが……

 と言っても、リアルには当日は無心で聴いていたというのが正確なところかもしれません。もう、50年ほども前のことです。

 わたしの場合に限るかもしれませんが、何度も何度も聴いているうちに形成されていった、後付けの感想と区別がつかなくなってしまいます。

 またケーキの喩えですみませんが、バームクーヘンのように、層を成していくわけです。



 つぎに、B面です。先に、K.301ト長調から紹介しましょう。

 第1楽章、第2楽章(8'04"-)を続けて。


 冒頭から、この曲にも魅せられました。

「春」のよろこびに弾む心。流れる小川、花咲ききそう河岸。ヴァイオリンがまさに歌うように奏でていきます。途中で転調してどことなくすこし翳りを見せますが、また明るさの方へ戻ります。

 モーツァルトの音楽は、転調の妙がたまりません。長調の明るい曲調から短調へ、逆に短調から長調へ。これも聴くよろこびのひとつです。

 このころのひとまとまりの作品群があります。ヴァイオリンソナタK.301からK.306の6曲の総称「マンハイム・パリ・ソナタ」とも呼ばれます。

 私が一昨年noteに書いた記事から引用します。少し遊んでいますが(笑)。

青春の光と影、モーツァルトに私が開眼したのが珠玉の一曲、K304です。

 とは、少し先回りしてしまいました。


 B面のもう一つの曲、K.304ホ短調。

 またしても魅了されましたが、想像していたものとまるで異なる曲調に最初、少し緊張気味で聴いていたかもしれません。

 短調で有名な曲で言えば、交響曲第40番ト短調K.550、ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466、弦楽五重奏曲ト短調K.516など。

 私は特別視はしませんが、モーツァルトの音楽の中でも、特別に位置付けられることも多い短調の名曲があります。

 それらは、ひとことでいうと語弊があるかもしれませんが、「哀しさと美しさ」の音楽です。

 K.304を聴くうちに、その哀しさ、美しさに惹きつけられました。

 曲はやがて、第2楽章へ遷りました……

 バリリとスコダの演奏を、YouTubeで探しましたが見つかりませんでした。

 代わりと言っては何ですが、クララ・ハスキルとアルテュール・グリュミオーでお聴きください。こちらも、すばらしい演奏だとおもいます。


 最初の数小節の音楽に、私は雷に打たれたように、時間が止ったように感じました。

 もし、〈啓示〉ということがあるとすれば、これかもしれません。

 私のモーツァルト体験の新たなとびらが開きました。

 それまでは、モーツァルトは好きな作曲家でした。

 心をやさしい手でつかまれたあの時から、モーツァルトはかけがえのない作曲家になりました。

 以来、いつもそばにいて今に至るまで、辛いことも楽しいことも、分かち合ってくれる存在のように感じています。

 一生掘っても掘りつくせない鉱脈を見つけたようなものだ、と〈能楽〉のことをたとえて言った人のことばを、私は、〈モーツァルト〉の音楽にあてはめます。

 そこに導いてくれた、ワルター・バリリとパウル・バドゥラ・スコダに限りない感謝と敬慕の念を覚えます。

 ほかの演奏者のものも聴きますが、私にとっては、やはり二人の演奏には代えられません。

〈小品〉比較的小規模で、楽器も少ないような曲、たとえばソナタやセレナードなどの室内楽においてモーツァルトを私は特に身近に感じます。

 仮に、たとえばモーツァルトが書き飛ばしたような作品であっても、いやそうだからこそいっそうあるかもしれない。その恩寵に与ることのよろこびが。

 モーツァルトが宿る。ひと刷毛で描かれたような、ラウル・デュフィの絵のように。


 最後に、アンリ・ゲオン著『モーツァルトとの散歩』の一節をご紹介します。

 私はいまだにあの晩を忘れることができない。―もう三十年の昔になろうか―アンドレ・ジッドがピアノに向かったあの晩のことである。(中略)その曲はパリで書かれた『変ロ長調ソナタ』(K.333)だった。
(中略)この啓示を受けてから……(中略)やがて私は《ピアノソナタ》や《ヴァイオリンソナタ》の魅惑的な門を通って、モーツァルトへ帰った。             白水社刊『モーツァルトとの散歩』395~397頁 



 ささやかな私の、モーツァルト体験の話の筆をここでおきたいと思います。

 最後までお読みいただいて、ありがとうございました。










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