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寛容であることの大切さについて

 ヴォルテールの『寛容論』を読んでいる途中ですが、寛容であることの意味、不寛容の招く残酷さがわかります。

 『寛容論』は、今もフランス人によく読まれているそうです。

 南フランスの都市トゥルーズは、十六世紀来新教徒の勢力の盛んなところで、そのため旧教徒とのあいだに血なまぐさい抗争が繰り返されていた。(中略)
 十七世紀からの打ち続く弾圧と迫害により最盛期には二万人を数えたといわれるトゥルーズの新教徒も、十八世紀中頃には市の全人口五万人のうちわずか二百人にまで減少してしまったという。(中公文庫版解説222頁)

 そんな中、1762年に起きた「カラス事件」を知ったヴォルテールは、義憤を覚えます。それが契機となって執筆されたのが『寛容論』というわけです。

 トゥルーズの新教徒で誠実な商人カラスは、実の息子を殺害したとして、一方的な裁判を経て残酷な処刑によって命を失いました。

 ヴォルテールはそれを知り、考証を重ねる中でカラスの無実を確信するに至ります。そして、犠牲者の無実の証明と、未決で拘束されている妻や子女、関係者の救命に奔走するのでした。宮廷までに連なる人脈や古今東西に広がる学識を利用して。

 学識に偏りは微塵もありません。日本、中国インドにまで言及されています。

 日本人は全人類中最も寛容な国民であり、国内には穏和な12の宗派が根を下ろしていた。イエズス会士がやってきて13番目の宗派を樹立したのだが、しかしすぐに他の宗派を容認しようとしなかったために、(中略)その国土を壊滅させてしまったのである。
(中略)日本人は外の世界に自国の門戸を閉じ、野獣のごとき存在としてしかわれわれヨーロッパ人を見なくなるに至った。大臣コルベール卿は日本人の助力を得たいと思ったが、相手側では我々フランス人の助力を少しも必要としなかったので、この国と貿易関係を樹立する企ては水泡に帰した。(中公文庫版第四章42-43頁)

 イエズス会の日本来訪が戦国の混乱の要因と喝破。日本に混乱と荒廃を招き、諸外国との交流を断念し鎖国への道を選んだ裏に、キリスト教の一宗派の振る舞いがあったと。

 また、西洋諸国の側では当時通商などにおいてはブルーオーシャンであった、日本の国力を頼りに富を拡大しようとしたのが頓挫したというわけです。

 中国ではどうであったのでしょう。

 シナでおそらくもっとも英邁かつもっとも寛仁大度な擁正大帝がイエズス会士を放逐したというのは、いかにも事実である。しかし、これは皇帝が不寛容であったからではなく、その反対にイエズス会士たちが不寛容であったからにほかならない。
(中略)世界の果てから皇帝の国土に派遣されたイエズス会士、ドメニコ会士、カプチン会士、在俗司祭らの破廉恥な喧嘩沙汰をお知りになるだけで皇帝にはほか必要はなかった。この修道士どもは真理を伝えにやってきて、お互い同士相手を呪詛し合ったのである。(中公文庫版第四章41-42頁)

 ここで注意すべきは、著者のヴォルテールはフランス人であり、キリスト教信者であったということです。当時の周りの無知で扇動されやすい人々と違うのは、中庸で良識と分別がそなわった高徳の士であったことです。

 ニーチェのようにキリスト教自体が「邪教である」とは言っていないことにも注意が必要です。

 不寛容が勢力を伸ばして、その度合いが深まるほどに、人間から人間らしさを奪い去り、狂信を蔓延させ、さらにひどくなると、この世に地獄をもたらします。人殺し、しかも残虐非道のそれです。


 現在、私たちが経験している未曾有の感染症に伴うバッシングやハラスメントが取り沙汰されたり、白日の下他の独立国家を侵略する国家があったりする状況下で、ヴォルテールに教えられることは多いと思います。

 そして、我々ひとりびとりが寛容の精神によって、より良い世界より良い時代に変えていこうとすることが大切なのではないでしょうか。


※noranekopochiさんの画像をお借りしました

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