1993年のオーストリア・モーツァルト №65〈ウィーン №17〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ウィーン♪ №17(モーツァルトの墓標を訪ねて)
1993(平成5)年7月21日(水)朝
こんどは気も晴々と確信とともに前へ前へ。墓地は人影もなく静かだった。門をはいるとまっすぐに伸びる通りの左手に”MOZART'S Grave"という、矢印付きの小さな標識があった。(※1)
小道に入った。突き当りにキリスト像がある。その手前だった。左手に標識があって、見えた。モーツァルトの墓標。(※2)
足元に嘆いている天使の像。その前に紅白の歌壇。両手をそっと合わせる。……そのとき思いがけないなにかの鳴き声が聞こえた。
びっくりして見回すと何と、美しい姿の孔雀、クジャクがそろりそろりと歩いている。冠を載せた立派な様子。カメラに納める。ぼくが近づくとすーっと向こうへ行くが別に怖がっている様子ではない。(※3)
ベンチに腰掛けて、思いついて鶴を折った。さっきの孔雀にあわせて、青、黄、緑の一羽ずつ。それを墓標のたもとにおいてモーツァルトのことを偲んだ。(※4)
――つづく――
※1 地下鉄3号線の終点、エルドベルク。そこから迷わずに現地へ到着しました。ホテル・アストリアの女性に感謝。(その後現在までに地下鉄路線は延伸されているようです)。
※2 後世になってモーツァルトの埋葬場所と推定される場所に建てられた「嘆きの天使」像。墓標の柱は、途中で折れたデザインになっています。最近の墓標周りの状況をインターネットでみると、整備が進んで少し開けた環境にかわっているようです。
※3 野生の孔雀がいるという情報は持ってなかったので、出会ってびっくりしました。また、そのときは出会えませんでしたが、野生のリスなども生息しているそうです。
※4 『W.A.MOZART 1756-1791』この墓標の訪問は、今回のオーストリア旅行の最大の目的のひとつでした。ほかに訪問者もいなくて静かに、モーツァルトの音楽への愛と感謝に思いを馳せることが出来ました。逆にもし誰がいたならば、モーツァルト談議に花咲いたかもしれません。
※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。
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