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1993年のオーストリア・モーツァルト №62〈ウィーン №14〉

1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。

ウィーン♪ №14(ブルク劇場~モーツァルト広場、そしてマルクス墓地へ)

1993(平成5)年7月20日(火)夕方

 4時半も過ぎていたので美術館を出てリンクを渡った向かい側の王宮公園のモーツァルト像をめざした。雨はもっと降ってきた。像は直すぐに分かった。何枚か写真を撮ってから今度はゲーテ像の方へ行った。(※1)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
ベートーベンの部屋、シュティフタ―博物館を出て
ウィーン大学のわきをかすめ市庁舎、ブルク劇場、国会議事堂など
そうそうたる建築群を愛でて歩きました
〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
そして、マリアテレジア広場のテレジア像を見上げてから美術史博物館に入りました
そのあとモーツァルト像、ゲーテ像など見てから市電に乗って
モーツァルトが埋葬されたザンクト・マルクス墓地を目指しました


 
 ついでザンクト・マルクス墓地へ行くべく71番の市電に乗った。モーツァルトの墓標を訪ねるのだ。(※2)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
ブルク劇場:最初の建物はウィーンの宮廷劇場として1741年に完成した。 モーツァルトの『後宮からの誘拐』、『フィガロの結婚』、『コジ・ファン・トゥッテ』、ベートーヴェンの交響曲第1番の初演会場として知られている。(ウィキペディア)

 所が降りる停留所がわからなくて、運ちゃんに尋ねてもさっぱり通じなかったので菅で適当に降りた。(※3)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
ヴォルクス公園 ほかの観光客も雨の中傘を手にしていました
花がお出迎えしてくれました

 相変わらずの雨だがモーツァルトの葬送の日がひどい嵐の天気だったことを思い出して、それと重ね合わせて少し感傷に浸りつつしばらく足元を濡らしながら歩いた。(※4)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
王宮公園のモーツァルト像
おなじみのト音記号が芝生に鮮やかでした


〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
立派な台座の足元に天使たちが戯れています
「彼ら(天使)があい集うとき、モーツァルトを奏し、神もまたその楽の音に
ことのほか喜んで耳を傾けるだろうということはたしかだ」(カール・バルト)

 しかしあるけどあるけど一向に見当たらず、人通りもなくて不安になったし、足も痛くなったのであきらめた。寒い。同番の市電に乗ってホテルへ戻った。(※5)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
ゲーテ像「人生で本当に楽しかったのは4日間だけだ」(ゲーテ)あのゲーテにしてこの言葉です
人生とはつらいのが当たり前といえば耐えていけるかも
〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
雨降りしきるウィーンの街……
このあと行く予定のシェーンブルン宮殿での野外コンサートは無事か



――つづく――


※1 それほど意識せず、見たいところをみたいように回りましたが、結果的には観光客お決まりのコースを歩いたんでしょうね。

※2 ザンクト・マルクス墓地にモーツァルトは埋葬されました。映画『アマデウス』などでも知られるように共同墓地に、です。おかげで後世、埋葬場所の特定が困難になりましたが、当時皇帝ヨゼフの命により質素・倹約が奨励されて一般的な埋葬方法だったとか。

※3 今ならスマホがあって難なくたどりつけるでしょうが。ちょっと準備不足もありました。ホテルでもっと詳しく聞いておけばよかったです。

※4 無理やり重ね合わせた格好です。何もかもうまくいくことはないという教訓を得ました。

※5 なんとか、ホテルまで無事に戻りました。このあと、シェーンブルン宮殿の野外コンサートの予約を入れていましたが、どうなったでしょうか。結果は次回へ!



※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。

#オーストリア
#ザルツカンマ―グート
#モーツァルト
#30周年
#わたしの旅行記

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