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エーリッヒ・フロム『愛するということ』について

先日、大阪梅田の紀伊國屋書店で目に止まったので買って少しずつ読んでいます。


帯の記載によれば、フロム生誕120年記念、30年ぶりの改訳・新装版とのこと。


さて、フロムの著作に最初に触れたのは随分な昔のことです。大学時代に一般教養で英語のテキストとして『自由からの逃走』を読みました。


その後ほとんど縁がなく、数年前に紀伊國屋書店版の『生きるということ』を読んで感銘をうけたのを覚えています。


そして今度の本書です。

友愛の底にあるのは、わたしたちはひとつだという意識である。全ての人間が持つ人間的な核は同一であり、それに比べたら、才能や知性や知識の違いなどは取るに足らない。

同書78頁、第2章「愛の理論」3「愛の対象」a「友愛」の言葉です。

対人関係の中で、相手の表面上のことしか考えない傾向について明確に指摘された気がします、

この同一性を体験するには、表面から核まで踏み込むことが必要である。もし、私が他人の表面しか見なければ、ちがいばかりが目につき、そのために相手と疎遠になってしまう。

ここも我が身に覚えあり。

もし、核まで踏み込めば、私たちが同一であり、友であることがわかる。表面と表面の関係ではなく、この中心と中心との関係が「中心的関係」である。

この後、著者はシモーヌ・ヴェイユの表現も引用して思索を展開していきます。


感染禍の現在、人と人の絆の大切さが身に沁みます。人と疎遠になったり、孤独になったりすることから逃れるにはどうすればいいのか。

また、個人の関係から国家間、民族間の戦争や和平の課題にまで敷衍して考察する場合にも、フロムの言葉には重みを感じます。


楽しみながら、考えながらこの続きを読んでいきたいと思います。

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