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中村文則パロディ/「くたばれ、文部科学省。」

今日きょうどもたちの社会科見学しゃかいかけんがく。あっこちゃんも、いさなくんも、ちゃんと先生せんせいうことをけるかな?
あっ、いさなくん!勝手かってさきったら、迷子まいごになって、みんなの迷惑めいわくになっちゃうよ!あっこちゃんは、まだ施設しせつ展示物てんじぶつ見終みおわってないのにもうかえりたがってる。これじゃ、せっかく時間じかんつくってくれた職員しょくいんさんをがっかりさせちゃうね。
(保護者の皆さん向け)学びを深める:お子さんたちと一緒に、他には何をしてはいけないのか、また、それはどうしてなのか考えてみましょう。
学びをつなぐ:p61〜68「花丸大介くんの三百六十五日」p105〜112「お母さんのことが大好き!」
    【職員しょくいんさんのおはなし
ここからは、実際じっさいはたら職員しょくいんさんのおはなしだよ!
ぼくらの生活せいかつをふだんえないところでささえていてくれるごみ処理施設しょりしせつ。ここでは、どんなおはなしをかせてもらえるのかな?わくわくするね!
職員しょくいんさんのおはなし
。へへっ。が。へへへへへ。なにかがえて、もと姿すがたくしていく姿すがたが、ぼくはたまらなくきなんですよ、へ、へっへへへへ。いつまでってもなおらない、ぼくは、いい加減かげん正常せいじょうにならなければいけないのに。そうしなければ、ぼくはこの世界せかいからはじかれてしまうというのに。でも。それが、どうしてかとてもうれしい。自分じぶんが、そうして世界せかいこばまれてんでいくということが。間違まちがっているのに、そして、こんなことを子供こどもはな大人おとななど、どうかんがえてもくるっているというのに。へ、へへへへへへへへへへへっ。」
ぼくは、自分じぶんなに間違まちがいをおかすたびに、手首てくびるんです。もう間違まちがえないように。ただしい人間ひとでいられるように。これは、明美あけみ肋骨ろっこつったとき。うつくしい女性じょせいだった、ぼくには見合みあわない。なぐるとき、あのおんなうれしそうにしていた、どうして。ぼくは、わるいことをしたのに、ぼくは、ばつけるべきだったのに。」
「ああ、このきずですか。きれいでしょう。ばつというのはうつくしいものだから。これはぼくはじめて快楽かいらく見出みいだした、その記念日きねんびに。へ、へへへへへへへへっ。」
おとこはカッターをす。手首てくびる。
「ああ、いたい。でも。もしかしたらぼくは、こころ奥底おくそこではこの行為こういのぞんでいるのかもしれない。だって、ほら。心地ここちいいんですよ、とても。なにかをきずつけるたびに。あのうつくしい表情ひょうじょうなぐるたびに。へ、へっへへへへへへっへへへへへ。そうだ、衣服いふくあせりつくように、ぼくぼくであるというこのどうしようもない感覚かんかくがあった。」
「でも、あのねこはかわいそうだった。人間にんげんよりは、ねこけがれていないから。ぼくは、どうして……へっ、へっへへへへへへっ、かみさま。」

職員しょくいんさんのおはなしはどうだったかな?おうちひと先生せんせいと、たくさんはなしあってみよう!

個人的に中村文則氏の作品は初期の方が好きだ。今の(ちょっと失礼かもしれないけれど)和製コーマック・マッカーシーみたいな作風もいいけれど、あの、一人語りの「トゥーマッチ」感が筆者はたまらなく好きで、これはそのパロディである。
個人的に「銃」「遮光」「土の中の子供」―初期の三作がとても好きだ。あの暴力的な個人性の持つ魅力は、氏の後期作品では味わえない(後期は別の魅力がある)。
最近ではディストピアSF「R帝国」が面白い作品だった。ストーリーに詰めの甘いところがあった(ように思える)が、作者の時代に対する問題意識は本物だろう。

なお、筒井康隆氏の「くたばれPTA」も重ねて読んでもらえれば嬉しい。


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