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三島由紀夫「帽子の花」

死に対して、特別な感度を持つ表現者が世にはいる。
たとえば塚本邦雄氏の短歌。

はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を賣(う)りにくる

「日本人靈歌」より引用

ここで詠まれているのは、初夏の保険販売員の訪問風景で、それだけだ。
しかし、塚本氏が「保険」を「遠き死」と言い換えたことで、平凡な夏の風景は、まるで「はつなつのゆふべ」を、死を売る死神が行き交うような異世界と繋がる。

「帽子の花」は昭和37(1962)年の作品。三島37歳。
前扱った短編「魔法瓶」と共に、この前年の三島のサンフランシスコ旅行の経験から生まれた作品だ。

「魔法瓶」が三流不倫小説だったのに比べて、「帽子の花」はそれなりに良い。三島由紀夫という作家の「死」への感度が分かる。

舞台はサンフランシスコの9月。
「快晴の日光はカリフォルニア特有の、金いろに灼(や)けたパンのような、食慾(しょくよく)的な豊かさに充(み)ちてゐる。」
三島本人を思わせる語り手は「午後三時に人
と会ふ約束までのその間」「何とかこの氾濫する日光を浴びてすごしたい」と考える。
そして、「ユニオン・スクウェア」という「何の変哲もない小公園」に向かう。

そこでは、「−亀裂の入った硝子(ガラス)の器のやうな、不安な、こはれやすいものに見えてゐた世界が、この午後には(略)ばかに堅固な、光り輝やいた、祝福されたもののやうに思はれ、それが却(かえ)って私を不安にした。」
それから語り手は色々なもの思いにふける。気がつくと、「目前のユニオン・スクウェアは、急に死の相貌(そうぼう)をおびたやうに」感じる。
それまでの、明るい風景は「気づかれることなしに、そのまますつぽりとアルコホル漬にされてしまつてゐた」。
ここでは空の描写がいい。
「丁度魚のゐない水族館の一つの窓を覗くやうな空虚な澄んだ小さい空」。

しかし、二人、まだ死んでいない人間がいた。
男女の浮浪者だ。

タイトルの「帽子の花」は、このうちの女性浮浪者が身につけていた、しなびた花飾り。
彼女は、先に来ていた男性浮浪者にゴミ箱の新聞を取られてしまう。
彼女は一瞬「失望の表情」を見せるが、すぐ「堂々とした鳥のやうな無感動な顔つきを取り戻」す。語り手は「ここにこそ「生活」があ」る、と考える。

最後は、彼女の「帽子の花」が「練り歩くにつれ、人々は目ざめ、解き放たれ、あれほど恐ろしかった終末の死からよみがえつて、(略)動きだす」。

明るい風景のなかに、この語り手は死を見ている。それが筆者は好きだ。

(追記)前登志夫氏に

かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳(かげ)らひにけり

「子午線の繭」より引用

という歌がある。
筆者ではよく意味の取れない歌だが、それでも深い感覚を残す。
この短編を読んで思い出した。





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