ヴァージニア・ウルフ「青と緑」など

二階堂奥歯氏という編集者を知っているだろうか。
「八本足の蝶」という、彼女の日記を通して、筆者は知った。
若くして自ら死を選ばれたが、極めて博識な方だったのだろう、レヴィナスからファンタジー小説まで、私はこの一冊に幅広い知識を知らせてもらった。

そのなかに、ヴァージニア・ウルフ氏の「青と緑」から引用された下りがあって、それがとても綺麗だった。

そして、その先にどんなめくるめく物語が広がっているのだろうと興味を持ち、筆者の手元には今「青と緑」がある。
しかし、この小説は2ページだけだった。
その1ページ分、つまり「緑」を奥歯氏は引用していたのだ。
ので、筆者は「青」を引用する。
(だからこれで読者さんが「八本足の蝶」を読めば、ひとまずヴァージニア・ウルフ「青と緑」の全編を読んだことになる)

「青」

潰れた鼻の巨(おお)きな生き物が水面に現れ、ずんぐりとした鼻に並んだ孔(あな)から二本の水の柱を噴きあげる。水の柱の中央部は青白い炎の色で、飛沫が青い小珠(ビーズ)の房飾りのように周囲を彩っている。青い線が黒く厚い皮に幾筋も走っている。口や鼻孔を水が洒(あら)うに任せ、生き物は沈んでいく。水で重くなる。青は体全体を覆い、磨いた瑪瑙(めのう)のような目を覆う。浜辺に打ちあげられて生き物は横たわる。蒙(くら)く、鈍く、ぽろぽろと乾いた青い鱗を零(こぼ)しながら。その金属を思わせる青が浜辺の錆びた鉄を染めあげていく。青は打ちあげられた手漕ぎボートの肋材(ろくざい)の色。一叢(ひとむら)の青い糸沙参(いとしゃじん)の下で水が揺蕩(たゆた)う。何より大聖堂の傑(すぐ)れて冴々(さえざえ)として、香を含んだ青、聖母たちの被衣(かつぎ)の、その精妙な青。

肋材とは船における肋骨の位置にあたる部位の名称(らしい)。
糸沙参とはキキョウ科ホタルブクロ族の、青紫の花。
被衣とは、(おそらく)ローブ。

ほとんど物語性を持たない、散文詩に近い(そして極めて感覚的な閃きに満ちた)鮮やかな文章だ。

なお、役者の西崎憲氏は歌人兼作家。 

筆者は「未知の鳥類がやってくるまで」収録「行列」―マジックリアリズムとも幻想小説とも呼べる不思議な作品だった―を読んだきりだが、中身は他にも「東京の鈴木」や「ことわざ戦争」など、ユニークなタイトルが並ぶ。もしよければ、合わせて読んで、ぜひ感想でも読ませてほしい。

最後、ウルフからもう一つ引用する。
「月曜日あるいは火曜日」末文から。

物憂げに、そして無関心に、青鷺(あおさぎ)は引きかえす。空は星々を薄紗(ヴェール)で覆う。それから剥ぎとって裸にする。

世界の細部に目が開かれていくような、そんな文章だ。


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