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中村文則「R帝国」(修正)

まずこれを読んでほしい。特に、第十二条、第二十四条を。関係なく見えるが、必ず「R帝国」を読む時役に立つはずだから。

さて、「R帝国」はつまらなかった―小説単体で見ると。
いささか喋るのが面倒な小説だが、嫌いではない。作家のガッツは認めるが、もう少しうまく書けなかったのかとも思う。そんな小説だ。

話としては近未来ディストピアSF。作者の「教団X」とのつながりはない。
話は一般人の矢崎と政治家の栗原のストーリーが並列に書かれる。矢崎が「下から見た暴力」、栗原が、「上から見た暴力」を示すパートと見てよいだろう。

まず、この小説は失敗作と言っていいはず。筋はご都合的だしつながりも平面的に思える。乳飲み子の時代から伊坂幸太郎を読む英才教育を施された私にとってはいかにも退屈なのだ。
しかし純文学として読むには筋が荒すぎる。特に途中進化したスマートフォンみたいな位置づけの「HP」が狂うシーンは、一体シュールな笑いか真剣なのか判断に苦しんだ。女性の書き方にも異論が残る。

(ネタバレ)結局矢崎はドラッグで無力化され栗原はテロリストにあっけなく殺される。この結末はディストピア小説としても新味がないだろう(低予算ホラー映画で最初にブロンド美人がチェーンソーの餌食になること同じくらいには)。

一体なぜ本作を紹介したのか。
それはもう、本作は小説の皮を被った中村文則のエッセイだ。それもなりふり構わない。
この小説は「毎日新聞」に掲載され、読者層も純文学ファンに限られない。それも計算のうちのはず。

「R帝国」を読んで驚くのは、「いかにも」寓話的なエピソードがあまりにわかりやすく挿入されること。読めばすぐ、「イスラム国」や「自民党」、その他様々な現実世界のアレコレの話なのだと推測できる下りが山のように出てくる。フィクションとしての説得力を失わせるほど。
だから、小説として見ればひどい出来だ。
ただ、私はこれを(皮肉でなく)中村文則のエッセイと思い読んだ。彼が勉強したり、考えたりしたことを例え話にして並べてあるエッセイだと。

「R帝国」は充分読むべきエッセイだった。確かに、これを豊かなフィクションとしては書けないだろう。下手だが、時代に即した正しい書き方だった。そんな感想である。

(自民党改憲草案について)
憲法第十二条は、現在の条文では、
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
これが、自民党改憲草案では、
「(同文)により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。」
「公の秩序」とは何か。この曖昧な言葉によって、私たちの自由と権利が束縛される。

第二十四条。現在の条文では、
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」
あくまで婚姻についての条文だが、改憲案では、
「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければいけない。」家族についての条文に変わる。

二十四条改憲案には二つ問題がある(もっとあるかもしれない)。
一つは、「家族は、互いに助け合わなければいけない。」この条文を盾に、生活保護受給が拒まれる危険がある。たとえ家庭内暴力を振るう夫でも、いわゆる「毒親」でも、私たちは「互いに助け合わなければ」いけなくなる。

もう一つは、こうした憲法のもとで、家族間の(さっき挙げた暴力を振るう、精神的に追い詰めるなどの)問題が、「家族」なのだから、という理由で抑圧される恐れがある。「家族は社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」のだから、と。

こうした馬鹿げた改憲案を作る政党が、平気で与党に居続けている。中村氏の作品は、そうした時代を示す小説として、何より読むべきと思う。
 
もう一つ記事を載せる。

自民党は、国民のために金を使うのが嫌いな政党である。人権にフルスペックも何もない。それはすべての人に与えられた「永久の権利」である。参議院議員のくせに憲法も知らないのか。呆れるほかない。(追記)ないが、選んだのは「私たち」なのである。筆者ももっと勉強しようと思う―焼け石に水、どころかマグマかもしれないけれど。

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