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三島由紀夫「葡萄パン」

この前年に書かれた「月」の連作。ビート族を題材にしている。
発表/刊行年はそれぞれ、昭和三十八(1963)年一月/十二月。三島由紀夫38歳。

一応「他の作品からの引用」(むつかしく「間テキスト性」)があって、「マルドロールの歌」―ロートレアモン伯爵の作った詩が使われている。
今しがた調べた限りでは、「シュルレアリスム」に属する詩だとか。
この詩には、「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」という謎の言葉が残されている(それがシュルレアリスムなのだろうか)。

(急な話だが)メインカルチャー/サブカルチャーという区別は、今ではほとんどなくなっているし、それはいいことだと筆者は思う。
どうしてこんな話をするのか。理由は一つ。この「月」「葡萄パン」という小説は「三島由紀夫」という「メインカルチャー(文学者)」が、「ビート族」という「サブカルチャー」を殿様商売で書いた小説だからである。(かなりどうでもいい話だが、開高健という今ではほとんど消えかけた作家がいる。彼の小説に「日本三文オペラ」というのがあって、この三島の短編と同じいやらしさがあるから、よほど暇ならぜひ)

なにが嫌って、「あくまで自分は上だと(暗に)示しつつ」「自分は『下』を理解できる存在だと主張をする」このダブル・バインド。
(同じ理由から私は高橋源一郎の漫画の引用も嫌いだ。薄々下に見てる存在を「引き立ててやる」その腐臭。そして90〜00年代の「ポストモダン」の皮を被ったエセサブカル批評も)(ちなみにエヴァが人気だった、いわくエヴァとは敗戦によるアメリカの外的トラウマを克服するのではなく受動的に捕え直すと同時に世紀末的な絶望感を個人の内面のドラマとして矮小化することで応答可能性を探った……etc,あれは何だったんでしょうねほんとに)

……あらすじ紹介。「ジャック」という青年は「由比ヶ浜ホテルのわきから」「坂」を登る。彼は「ヒッチ・ハイク」でここまで来たのは、ビート族のパーティに参加するためだ。だが、パーティは夜明けには興ざめてしまう。
そこへ、昨日パーティへ彼女―「強力にハクい」女(ナオン)―を連れて来損ねた同じくビート族の青年「ゴーギ」(「豪気から来た」らしい)―「甘いしつこい腋臭」の持ち主―はその女性とセックスをする。
ゴーギはしかし上手く性的興奮が得られず、ジャックに女性の「足を強烈に引張つて」ほしいとお願いする。このとき、ジャックはタイトルの「葡萄パン」を食べている(レーズンの甘酸っぱさは、「ゴーギ」の腋臭を連想させるかもしれない)。
二人のセックスが終わる。ゴーギはジャックに「後始末(アフタ・サーヴィス)」を頼む。ジャックは「あいつはいつも尊大で滑稽な委託をする」と独白し、マルドロールの歌の「腕と鰭は(…)愛するものの肉体のまはりに組合はされ、(…)かれらの喉と胸は(…)青緑色の塊になりはて……」という一節を口ずさむ(男と雌鱶(めすふか)の描写らしい)。

一つ、綺麗だった描写。

闇がどこかで結ばれちやつてる、とジャックは思つてゐた。闇の大きな袋の口が結ばれ、小さな袋を併呑(へいどん)してゐた。そのあるかなきかの小さな綻(ほころ)びが星で、ほかに光の綻びは一つもなかつた。

(追記)読まなくていい短編。(自分語りだが)筆者は「憂国」以後の短編は読んで感想を書こうと決めていて、こうして書いてみた。
三島の後期短編が知りたい読者に、少しでも役立ってくれれば幸いである。
(追記)「#マルドロールの歌」なけなしの5件のなかの記事。

筆者は「マルドロールの歌」をさっぱり知らず何も語れていないので、拙記事を補う形で、よければ。

倉橋由美子氏の「偏愛文学館」に本作が出てきた。「女の足の間から無意味が破裂した水道管のように吹き出し」(正確な引用ではない)という一文を褒めていたのでついでに載せておく。



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