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壮大な自然の中で過ごしたら、心地良かった件

この夏、和歌山で4日間過ごした。

川に行き海に行き、山道を歩き滝を見た。

私は生まれも育ちも東京で、祖父祖母も比較的近くに住んでいたため、田舎という田舎がない環境で育った。

夏休みに「おばあちゃんの家に泊まりに行ってたんだ!」というクラスメイトの言葉は憧れ。

私は行ったとしても日帰りだったから、「田舎にお泊まり」は非常に魅力的なワードだった。

そんな私が、数十年越しで念願の「田舎にお泊まり」(和歌山の人ごめんなさい。笑)をしてみた結果、最高だったので、今日はそんなおな話を。

何より良かったのは川。

何を隠そう私、めちゃくちゃに引きこもりなので、普段は家で仕事をしていることもあって、2,3日外に出ないことはザラにある。
(そしてそれにストレスも溜まらない)

四季の中では1番に夏が苦手で、夏は特に家から出ない。

もちろん夏のレジャーとも無縁なので、

たまに誘ってもらってBBQに行くことはあるけども、海もプールも花火大会も、社会人になってからはほとんど行っていないような、THEインドアなのである。

そんな私が、久しぶりに、お風呂以外で頭のてっぺんまで水に浸かった。

これが何とも言えない感覚で、非常に、非常に心地良かった。

(そういえば去年の10月に初めてダイビングをしたんだけど、その前と思うと本当に5年以上ぶりな気がする)

ゴーグルを貸してもらって川の中を見てみたら、たくさん魚が泳いでて。

もちろんだけど川の流れに流されて、逆らって泳ごうとしても全然前に進めなくて、改めて自然の強さとか、抗えない自分の無力さを感じた。

でもその一方で、めちゃくちゃ肩の力が抜けた。

4,5年前の私は、完全に社畜。

仕事ができること=自分の価値と思って、朝から晩まで会社で仕事をしていた。

あれもこれもとどんどんやることを増やして時間がなくて、友達からの誘いにも行けないことも多かった。

視野が狭くなって
肩に力が入って
呼吸が浅くなって
いつでもカリカリしてた
いつも何かに追われていた

世間体とか「こうせねば」「こうあるべき」みたいな思考に囚われて、勝手につらくなってた。

どんなにがんばっても、何もかもが上手くいかなかった。

そんな時期があったからこそ、川で感じた圧倒的な自然は、数年越しに私を癒してくれたように感じる。

大丈夫だよ
何もしなくてもいいよ
できないことがあってもいいよ
いるだけでいいんだよ

って。

どんな自分でも受け入れてくれる感覚だった。

自然に身を投じてみて、五感がフル回転した。

水の感触や砂利を歩く感覚
風や虫や鳥の音
緑のにおい
山と川の見渡す限りの自然と眩しい太陽
(あとBBQして食べた美味しいお肉)

ただそこにあるものを感じるだけで手一杯。

だからなのか、普段なかなか消えない邪念がスッとなくなった気がした。

周りからどう見られるかな
本当にこれでいいのかな

毎日過ごす中で、こういう気持ちはどうしても湧いてくる。

でも、いい意味で「何でもいいか」「どうにかなるか」って思えた。

だって自然はただ目の前にあって、私が仕事ができようとできまいと、成功しようと失敗しようとただそこにあって、受け入れてくれる。

当たり前だけど、「仕事ができない人はここには入れません」みたいなルールはなく、誰でもOK。

「何かができなきゃダメだ」と肩肘張ってるのがバカバカしくなるぐらいの、圧倒的な包容力。

それに、どんなにがんばっても川の流れには逆らえなかったし、土砂崩れでも起きようもんならひとたまりもない。

人間なんて無力だ。

だからこそ、何かに抗うのではなく、無理をするんじゃなく、肩の力を抜いてやりたいようにやろうと思えた。

生きていればどうせ死ぬから、その限られた時間の中で、我慢したり無理することなんて、少ない方がいいに決まってる。

周りからの評価なんて、相手によっても状況によっても変わるんだから、気にしすぎていても仕方ない。

それよりも「自分がどうしたいか」に目を向けて、やりたいようにやる方が幸福度が高いし後悔がない。

当たり前のことだけど、東京の街の中でいろんなものに追われているとつい忘れてしまう大事なことを実感ができて、思考がクリアになった、貴重な時間だった。

全身で自然を感じる時間を、定期的に作ろうと決意した旅でした。

ありがとう和歌山。

また行きます。

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