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伝える手段が言葉という原点へ強く回帰するということ、伝える媒体としての基礎に座すのか(AIが)

今日も今日とて山登り。
山登りの最初の目的はAIの可能性と未来を思うと生きるって何だろうと悩みそれを探すために始めた毎週の習慣。生きるって生きる為の行為(食べる、飲む、その日銭を稼ぐ、楽しむ等)なんだと得心し、当初の目的は何となく霧消。
今の山に登る目的は、楽しみながら山に毎週登り続ける事。になっているので、それがどうなるのか分からず登り続けている。継続が何かを生む気がしなくもない。

山頂で空を見上げてるだけで良い

さて、最近GPT4に絵を描いてというと数秒で書いてくれる。既に当たり前になってきたなと思う。
次は動画だろうし、その次に音声なんだろう。
そうなると伝えたい事は言葉で紡ぐとその内容に合わせて伝達方法を適切に選択して相手に伝える事が出来るようになる。直接話して伝える事、絵を描く事、音を奏でる事、映像を作る事、それらが苦手な人でも、一定のレベルに立つ事が出来る。AIへの言葉紡ぎがそれを可能にする。

例えば下の1枚目はAIが描いたもの。2枚目は自分で撮ったもの。

AIによる森の写真。ちょっと写真ぽくないかな。
自分で撮った写真

次はススキの写真。1枚目はAI。2枚目は自分で。

言葉で紡いだススキの写真
自分で撮った夕暮れ時のススキの写真。

私の様なニワカカメラ好きと比べると伝えたいものがより具体的になる(言葉にしてるから)。
いや、それにしてもカメラの腕が下手すぎて凹む。同じものを撮ろうとしたんだけど。AIは最初ボケがなかったから伝えたいもの(夕陽に透けるススキの穂)に焦点を当てて35mmのレンズを意識して他はボケさせてと伝えるとすぐに修正してくれる。
私の撮ったススキはもう見ごろを過ぎたから写真を撮り直したくとも山頂にいっても再度撮れるかわからない。天気にもよるし。

仕事にしても、やりたい事を伝えるとその案を数秒で出してくれて、それに肉付け(指示)を行なっていくと、どんどん思い描いていたものに近づいていく。決定は今も人がするしか無いけど、この形にしていく力はすごいものだと日々感謝。

伝え方はAIにはAIの癖があるから人へ伝える方法とは変えたけど、そうする事で人への伝え方もより具体性をイメージする様になってきた気はする。多分人へもより伝わりやすくなったのかな?いやこれは分からないや。他人から伝わりやすくなったとか、伝わりにくくなったとか言われた事ないし。
どちらにしても人と話すときにイメージが浮かびすぎて文章として話せず、イメージもすぐに記憶から消えていくから言葉に残せず人との会話は苦手でしかないのは変わらないか。
なので、今のAIとの会話の様に記録に残り、何を話していたかを振り返りながら文章を書ける事は助かる。

そうか、その点もAIの補助が活きてくるのか。

文章が補助によって書けるのであれば、写真や動画、音声への道がAIの補助によってより簡単に出来ていくだろうと感じている今、伝える手段が限られていた身からすると諦めかけていた意思の伝達に希望を見出せるかも知れない。

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