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『キングダム/3運命の炎』(23)/この国なりのエンターティメントのありかた(映画感想文)

『キングダム3運命の炎』(23)は、前半が政の過去の物語。後半が、秦に不意を突き攻め込んできた趙軍との戦い。信が主人公らしく活躍するのはこの後半。

『キングダム』をジャンル分けすれば何なのか。ファンタジー? あるいは軍記もの?
一作目について書いた際に僕は栗本薫の「グイン・サーガ」を引き合いにだしたが、あれは群像ファンタジーだった。日本人の好みのジャンルがそれなのだと思う。太い芯のある筋書きに多くの人々が出入りする。協力し合い、敵対していたものが仲間になり、裏切り、策謀がめぐらされ、…、そして信じあっていた者同士で戦うことも。勧善懲悪とはまた違った価値観の違いを際立たせる物語が好きなのは、もとより民族的価値観がそれほど多様でない国ゆえだろう。この点、細かい点をつつけば、いくらでも現代の日本という国の有り様に対し欠陥を指摘することもできるのだが、エンターティメント作品を生み出す土壌の話なので、目をつむってほしい。

『キングダム』の主人公は山﨑賢人演じる信だが、そのモチベーションは天下の大将軍になることであり、それは亡き親友・漂との約束である。その漂が影武者として務めた王が政であり、因縁があって信は政にも共感(のようなもの)を感じている。漂といっしょに果たせなかった夢を政とともにかなえる、…と映画版しか知らない原作未読の僕は理解しているのだが、このあたりは、山崎の生身の表情と政を演じる吉沢亮の見せる呼吸のようなものが、なかなか心地よく響き合い、観ていて応援したくなる。
ただ二人のなかで心的に相通ずるものがあっても、立場が違うところをきちんと描いているのはリアルでおもしろい。立場だけでなく考え方も違うはずで、それがまた今後は大きくズレることもあるのだろうか。
戦乱の時代を描く物語は、特徴の異なる個性的な人物が多数登場するのが魅力ではあるが、価値観のベクトルはどうしても単調になる。国として栄えることを目指し、軍として勝つこと以外の目的はない。戦略に長けている、強い、以外の高い価値観はいまのところないが、今後はどうだろう。賢い、というのはひとつの長所だが、それは今後物語が進めばもっと表立って描かれることになるのかな。
一作目から登場する河了貂は軍師として優れた頭脳のひらめきを見せてくれそうなのだが、いまのところその片鱗も表れていない。物語の設定や背景を説明する狂言廻しとして使われているからか、何かと驚いたり感心したりばかりで、橋本環奈がいまひとつ以上に利口に見えないのは、演出の問題か彼女の芝居のミスなのか、…。
今回ちょこっと顔を見せに現れた李牧なる人物や、玉木宏演じる昌平君は頭脳明晰な印象がある。

2作目『キングダム2/遥かなる大地へ』では戦場という場を舞台に企業的な物語が描かれていたが、今回もその点は変わらない。ただ前作では平社員の一兵卒だった信は、係長(という役職は最近ではリーダーと呼ばれることが多いのか)の立場になり、チームをまとめる職務も担う。ということは、臨機応変に必要とあればチームのメンバーに仕事を割り振り、成否の配分もしなければならない。こちらは目に見える結果を出すチーム、その下支えをして犠牲になるチーム、…といったように。
しかし結果的に、それぞれのグループがうまく機能し、手柄を収めて褒められるのは長である信なのだ。メンバーは、自分たちのグループの長が認められることを喜びとする。それだけの魅力を長たるものは持たなければならない、ということも今作ではかなり強調して描かれている。

マンガをあえて読まないことにして、映画的展開にあっと驚く見方をしよう、と決め、しばらくはこのシリーズに付き合うことにした。アメリカではマーベルやDCが巨大なうねりのある物語を紡ぐことに成功(しかしその他に多くのシリーズ企画が失敗、企画倒れしている事実にももっと着目していいと思う。ユニバーサルモンスターのシリーズとか)し、はたして日本では、と思っているとゴジラも持っていかれてしまった。それはそれで楽しみでもあり、反面悔しい気持ちもあったが、『キングダム』がこの国なりのエンターティメントのシリーズの有り様を見せてくれるかもしれない。パイオニアとして今後どうなるかは興味があるし、応援もしたい。「おお、今回はこの役者が!」という驚きは、今作でもありましたよ。


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