見出し画像

『エンパイア・オブ・ライト』/あまりにも多くのことが(映画感想文)

サム・メンデス監督の『エンパイア・オブ・ライト』(22)を観る。
鑑賞前に情報を入れず「これ、いいかも」というひらめきだけで映画を観られればベストなのだが、昨今それはとても難しい。劇場で観た予告の印象と監督がサム・メンデスという情報だけでなんとか臨むことができた。結論だけいうと傑作。
二本のボンド映画(12、15)を経てメンデスのなかではもう一度キャリアを築き直すというか、何のイメージもレッテルが貼られてもいない新たな自身の傑作を生み出したいという気概があったのではないか、と勝手に思っている。
そうした志の高さを持ちつつ、同時に細部への細心な職人技的心配りもなされた作品。冒頭から映し出されるなにもかもが美しい。ただ美しいスタイルだけの映画か、というとそんなことは少しもなく、物語にはきちんと重厚な問題が織り込まれている。かつて『アメリカン・ビューティー』(99)で発揮されたシニカルな目線も健在。英国という外部からアメリカを照射する、客観的だが核心をつく分析は遺憾なく発揮されている。

鑑賞後にネットで調べて「優しい愛に満ちた」とか「大人の美しいラブストーリー」だとか書かれているのをみたが、この映画そんな作品ではまったくない。
アカデミーの主要部門にノミネーションされていないことについて「いくつかの物語を詰め込んではいるが上手く融和せず失敗している」といった批評もあるがそれもまた違う。
確かに、映画のなかで複数の人物の私(個)の事情と公(社会的な)の問題とが描かれるが、それらは見事に組み合わされてちゃんと機能している。にもかかわらず先のような的外れの批評や感想がでるのは、人物を中心に見るからだ。その見方を非難はできないが、この作品についてそれはやや安易に過ぎ、そしてもったいない。もっと巨視的に見るべきだ。そうすればこの映画がひとりの人生の起伏を描くにとどまらず、もっと大きなものを描いていることが理解できる

映画のなかで描かれる時間は限られ、そこで起こった出来事を中心にわれわれは登場人物の人生を「よかった」とか「悲劇だ」とか決定するのが常だが、本当の人生とはそんな一時期の内容だけを取り上げ、一言で総括できるほどシンプルではない。一面的に是非を決定できるような単純なものではない
メンデスはここで「人生とはいいことも悪いこともある」とわれわれの前に提示してみせ、くわえて、ひとりの人生だけでこの世界ができているわけではないということも訴えてくる。登場人物の抱える物語が融和していないように思えるとするなら、それは鑑賞者が誰か(ひとりの劇中人物)に重きを置きすぎるからなのだ。そういったスタンダードだが小さな鑑賞の仕方はここでは捨て、「この人物はこんなことで悩んでいる。この人物はこういった問題を抱えている。そしてこの人はこんな夢を持ち、この人はこうした生活を日々を求めている」といった全体を眺めつつ、ただ受け止めるといった見方に切り替えられれば、やがてそこに世界というものの不思議さや美しさが浮かび上がってくるだろう。われわれの生きているこの世界では無数の様々なものが絡み合い、そしていまこのときに併存し、ときには個の意思と関係なく誰かを喜ばせ、ときには偶然の結果として悲しませることがあるのだから。
そうした広い視点で見てみると、なんと人物たちには多くの、それぞれの考えや過去の経験や些細でも希望があることか。当然醜さも弱さもそこにあり、その点を隠さず美化することもなくコンパクトに作品としてパッケージする手腕は、さすがメンデス。
素晴らしい。
ところどころで洗練されたやりとりやくだりが鼻につくな、と思いもするが、それでも心を揺さぶられてしまう。けっして安易な方法ではない。困難な手法のチャレンジを、しかし困難であると観客に気付かせず、ただ美しさだけを鑑賞後の余韻として残す。これぞ手練れの業。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?