『キングダム2/遥かなる大地へ』(22)/ほんものの肉体が躍動する美しさ(映画感想文)
貧しい奴隷の少年・信が自身の信念と情熱、そして友との約束だけを信じて戦乱の時代を生き抜き、大きな運命のなかで向上する姿を描いた前作(『キングダム』(19))は、展開目まぐるしい「アドベンチャー映画」(佐藤監督・談)だったが、今作は打って変わって、物語全体がほぼひとつの場面で進む、構成上はいびつな映画だった。しかしこの構成を選んだことには勇気を感じる。原作への強いリスペクトもあると思う。
原作であるマンガは壮大なロマンの物語であり(わたし未読)そこで流れる時間や展開を映画という二時間前後で完結するパッケージに収めるとなると、どうしてもトランスレーションの過程でひずみが生じてしまう。だからといって(多分)原作では大きなひとつの見せ場である物語を、縮小してただの説明ですませてしまうわけにはいかない、…。制作陣がかなりの検討と決断を求められたことが素人目にも察せられる。
主人公の初陣という、原作中でも人気があるらしい蛇甘平原の戦いだけで今作は作られている。SWシリーズのなかの一作や、三国志演義を原作にもつ『レッド・クリフ』二部作(08、09)といった前例を思い出すことはできるが、最近の邦画でこれに似たものを僕は知らない。
監督や脚本にも携わる原作者たちは、しかし「このエピソードを割愛はできない」と決め、二時間をひとつの戦いだけ描くことに決めたようだ。そして観た感想からいうとそれで素晴らしい仕上がりになっている。幕開きでは「今回は前作とくらべて大味?」と予感したが、いざ始まるとさすがの構成。
ひとつの勝敗に帰着する(斬るしかない)戦いという極めてシンプルなマクロの要素と、個々のキャラクターたちが織り成す小さい葛藤やドラマのミクロのシチュエーションが上手く噛みあい少しも飽きることがない。キャラクターの立具合が原作マンガによるものなのか、映画を知り尽くした監督と役者陣が新たに作り出したものなのかは原作未読の立場なので判断はできないが。
前作で手柄を立て物語の中心となった主人公・信は、ただの一兵卒として戦場に駆り出され、そこで「伍」という五人組の雑兵グループを組むことになる。いっしょに組む仲間の戦闘力次第で手柄を立て褒美がもらえるか、生き残れるか死ぬかが決まるので腕の立ちそうなやつらはみんな先に組み上がって行く。主人公が前作で立てた手柄は誰も知らないので、残り物のどう見ても弱そうな珍妙なものたちの集まりになるのだが、このメンバーの顔触れがまず上手くできている。
「伍」は数名いる部隊長の下にそれぞれ配置されるが、その隊長たる人物もまた異なるキャラクターを持っている。部下たちの体力ややる気を慎重に斟酌するもの、いやいや戦いは勢いだ、体力がないものは死ぬだけだ、と高圧的に指示を出すだけのもの。ところがこの高圧的でただの戦争バカっぽい人物が、意外なところでちゃんと隊長となるだけのものを持っていることなどがのちに描かれ、おもしろい。
今作では、大河ロマン的主人公優位のご都合主義が希薄になり、代わりに、現代の新入社員がその上司次第でやりがいのあるポジションを得るか、出世への道を絶たれるかといった現代企業にも通じるリアルな、戦隊という構造のなかでの労働の物語が色濃く浮かび上がってくる。実際に現代の企業ほど、マクロとミクロの間で主義や信念を行き来させる場は他にない。兵士もまた同じ。戦争で勝つか負けるか、生きるか死ぬか、といった大局のなかに、小さい人と人との葛藤や共感やといったドラマが上手く作り込まれている。
『キングダム2』を魅力的にしている要素は他にも多々あるが、特筆すべきは、信を演じる山﨑賢人の肉体の躍動感、そこから生まれるリズムを持つ美しさである。大挙して立ちはだかる敵軍を飛躍して飛び越し、下り立った敵陣のなかで踊るように敵兵を斬り倒す、といった莫迦げたなんとも都合のいい活劇は、だが本物の肉体として見せられるとやはり息を飲む。その美しさと力強さにどきどきする。他の役者陣にもいえるが、なにより山﨑賢人は美しい(前作で莫迦のひとつ覚えのように「天下の大将軍が」といっていたのが鼻につく、・・・と思った人ほど今作は見てほしい。展開のなかで印象が大きく変わる)。
さらに清野菜名演じる、今作のキーマンである羌瘣(きょうかい)が素晴らしい。美しい手練れの暗殺者と書いてしまうとネタバレになるのかもしれないが、彼女が背景に持つ物語も、設定やその過去に若干手垢に塗れた印象はあれど、やはり役者の息遣い、たたずまいが美しく強靭で、既視感を越えて胸躍るわくわく感を観るものに与える。
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