見出し画像

自分自身と向き合おう



「#ゆたかさってだろう」というテーマを見た時に、「自傷行為」を思い出した。

私は小学生6年生1年間、自傷行為をつづけた。

アメリカに移民した親に連れられ、アメリカの小学校に転入したのはきっかけだった。
英語が喋れなく友達もできず、更に親しみがない親戚の家に住んでいたので、現地の生活に慣れない孤独感がきゅうっと胸の奥を締め付けていた。

そして学校で、紙に「I hate black people」を書き、その紙を黒人のクラスメイトに拾われ、先生に渡した。
その後、「中国からの転入生は人種差別をした」という「事実」は全校に広まり、もともと友達が少ない私はさらに友達が作れなくなり、全校の生徒に仲間を入れてもらえなくなった。

アメリカについて半年も経っていなかったのもあり、英語がうまく喋れなかったので、「なぜこれを書いたのか」という解釈のチャンスも失ってしまった。
親も当時必死でアメリカで生活のためにバイトをしていたので、相談ができる相手もいなく、孤独感に加え、仲間はずれの疎外感、そしてこの状況が変えられない無力感は13歳の私は一人で抱えていた。

そして、周囲から共感がされない状況からつい自分の感情が麻痺になり、当時から毎日、カッターで自分の左腕に「Death」という英文字を少しずつ刻んでいた。
痛みが感じれなく、左腕に血が流れるところを見ることで私は今生きているんだという変な感覚を抱えて1年間をすごした。
私の人生において、この1年は辛かった。

そもそも、なぜ「I hate black people」を書いたか。

体育の授業でバスケをやる際に、黒人のクラスメイトにボールをずっとパスされなかった。

その気持で「I hate black people」を書いてしまった。

今振り返って思うと、「I hate black people」はバスケットボールがパスされないことに対する悔しい思いと当時の孤独感から生まれた感情であり、その人はたまたま黒人だった。そして「hate」という言葉のきつさすさえ分からず使ってしまったのだ。「I hate black people」と書かれたこの紙は人種差別の証拠として判断された。

幸いに、仲間外れをされたが、さらにひどいいじめなどを受けたことは一回もなかった。
ただ、「周囲から嫌われたら辛いから、自分の感情や意見を抑え、できる限り平和に周囲と過ごそう」という考えを持つ13歳の子供になった。

このような環境でアメリカで1年間を過ごし、結局親も私もアメリカ南部の生活になれなくて中国に帰った。
中学校から大学までは中国の学校に通い、勉強も遊びもほどほどしてごく普通に過ごした。

自傷行為もその環境から離れて二度とせず、時間がたつにつれて、当時左腕にはっきり刻んでいた「Death」という英文字も消えていった。

もしも、もう一度その場に戻るチャンスがあったら、

紙を拾った黒人のクラスメイトにこっそりその紙を先生に渡す前に、直接私に「なぜこんなひどいことを書いたの?」と聞いてほしかった。

紙を渡された先生に、直接校長先生のところに報告しにいく前に、「何か不愉快なことでもあったのか」と聞いてほしかった。

必死で生活のためにアルバイトをしている親に「なぜ真夏で暑いのに、ずっと長袖を着ているのか」と気づいてほしかった。

そして、自分自身に、カッターで刻むたびに、痛いよ!と気づいてほしかった。

20年が立った今でも、何度も何度も当時の1年間を思い出すし、これからもこの経験に影響されつつあるだろう。

これは私の「心の傷」だ。

ゆたかさとだいぶ話が離れてしまったが、この「心の傷」を認め、平気に親や他人に言えるようになった今は、心にゆたかさができたからだと私は感じた。

いつのタイミングで心にゆたかさができたのか私自身もまだ曖昧で、はっきりわからない。
分かるのは、20何年間をかけて、いろいろな経験を通して、自分の「心の傷」と向き合おうとしている。

二度とこの辛い経験をしたくない。
そして、自分の愚かな行動で他人に辛い経験をさせたくない。

といつも願っている。

そして、「心の傷」は左腕の傷みたいにきれいに消えていくのはできない。

むしろ、この経験があるからこそ、私を成長させてくれた。

自分自身の感情や過去の経験と向き合う時間や余裕がある時はゆたかさじゃないかと、私は思った。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?