光る風 (3)

そういえば去年の音楽フェスでは、トイレに向かう上り坂の通路にはめてあるハンドホール脇に水たまりができていた。
コンクリートの塗り込みに不均衡があって、へこみができ、水が溜まりやすくなっていたのだ。
車椅子が転倒した箇所を後に見に行ってわかったことなのだが、水溜まりができるのを防ぐためにセメントでへこみを埋める簡単な工事が、このかんに行われていた。
ところが今度はそのセメントの塗りがやや過剰で小さな山に盛り上がっていたのだ。これで水は溜まらなくなったし、そんなかすかな地面の起伏など誰も気にも留めない。
ところが車椅子の前輪はそこで大きくバウンドし、背後の荷物で重心が後ろに傾いていた車椅子はバランスを崩してひっくり返ったのだった。
こんなことが起こることを予想することは、通常の注意力や想像力ではとても困難である。
幸い、後頭部の打ちどころや衝撃はたいしたことはなかったようだ。
光一自身は、ゆっくりと海の底に沈んでまた浮かび上がってくるまでに一時間は要したように感じたのだったが、
「僕はどのくらい気を失ってましたか?」という問いに、目の前の唇は
「担架で医務室に運ばれてベッドに寝かされたらすぐ目を開けたよ。三分ぐらいかな」と答えるのだった。
光一の顔を覗き込んでいたのは、先ほどビニール袋を追いかけて、輪ゴムでコントローラーに留めてくれた女性だった。
他に知り合いと一緒には来ていない光一の見守りを買って出てくれたようだった。
「重ね重ねすみません」
光一は彼女の瞳を覗いて言った。
「水くさいこと、言うたらあかん」
そういう彼女の前で、体を起こしてベッドに座りなおそうとしたが、両手を胸の前にあげて「撃つな」というような姿勢の「気」に押しとどめられた。
「まだ、動いたらあかん。安静にしとき」
「あっ、うん」
気さくなこの女性に光一もだんだん打ち解けていく。いっそ、甘えてしまえと思わせるオーラがこの女性にはあった。
「僕は沖田。沖田光一っていうねん」
「私はキム。キムソラ」
「・・・在日韓国人?」
「そやねん。京都の朝鮮学校卒やで」
「映画『パッチギ』の舞台になったとこ?」
「そう、よう知ってんね」
「大阪の生野区の公立高校の教員をしていたことがあって・・・在日の生徒がいっぱいいて・・・」
ひとしきり韓国・朝鮮の話題に花が咲いた。そのうち、生野区の「子どもの家」の話になった。
「逆統合教育で有名やね」
「そう、障碍のある子どもたちのためにモンテッソーリ教育をしてたら、楽しい幼稚園やということで、特に障碍のない子もたくさん入園してきて・・・・」
「あそこに一時期勤めていたキムミエさんって知ってる?」
光一は古い友人の名前を口にした。
「えっ? ミエちゃん知ってるの? 私、親友やで」
「うん。僕も古い友達。一番、濃かった時期は、小泉訪朝後の騒ぎのときで。あのとき、ほら、拉致問題が明るみに出て、在日の人への風当たりがきつうなって、大阪でも朝鮮学校の女生徒のチマチョゴリが切られるっていう事件が何件も起こって」
「うんうん」
「あのときな、ミエちゃんが自分のブログに、心ない人や、マスコミの姿勢への抗議文を書いたら、ネトウヨがわっと押し寄せて炎上してなあ・・・」
「あれ、リアルタイムで知ってたの?」
「ブログは一日10万アクセスとかですぐパンクして、舞台は2CHに移って、あれ、何枚、板立った? 連日連夜チャット状態で20枚は越えたよね。毎晩、朦朧として書き込み続けた。すごかったなあ」
安静にと言ったばかりなのに、共通する話題で話が弾み続けた。
(つづく)

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