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空の中で不二のプロセスを共に展開している

拙著『一三分間、死んで戻ってきました』を中心にした、気流舎(書店)のトークイベントの中でおもしろかった場面は多々あるのですが、

最近、臨死体験の研究で博士号を取得したWさんが、とある変性意識体験の中で、

「中学出の叩きあげの人物が心に現れてね、その人がいかにすごい人か、わかりました。なんであの知らない人が出てきたのでしょうかね」と言った。

ま、まるわかりやん! と思いました。w

「それは博士号を取得しようと思い、取得したご自身のテーマだからでしょう。だから、誰もが不二のプロセスの中にあるんだということに、端的に気づくためには、あなたにはその人が出てくるのがわかりやすいわけで、皆、そのように自分のテーマに沿って、すべてが不二のプロセスであると気づくのに必要なことが出てくるんでしょう」と私は言った。

「あ、表面的な自分とは正反対の人が出てくるのですね」とwさんは言った。

「そうだと思うんです。僕には僕のテーマがあって・・・」

「僕は『殺すな、戦争するな』といつも言っているので、人類史の中で、虐殺したのも、虐殺されたのも、レイプしたのも、レイプされたのも、全部自分だと気づいたときに、激しく嘔吐して、激しく嘔吐して初めて完全に静かな不二のプロセスの境地に入ったわけで」と私は言った。

親鸞が「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし」と言ったのは、それぞれのことも言っていると同時に、すべてのこともそれぞれに分けないで言ってもいる。一切が不二のプロセスであること、空であること、その中で皆で一緒にこの世界を繰り広げていることを言っている。

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