日本の普通のおっさんとは

2015年3月18日

 考えたのだが、昨日、枚方信用金庫枚方本店で「長尾支店で通帳をつくってもらえないか」と言われたのは、テリトリーの自主規制のほかに、障害者差別がある可能性がある。
 そうでないと、金額を言ったとたん、掌を返した理由に説明がつかない。
 あと、私が論理的に相手をどんどん追い詰めて、反論できないようにしたので、「普通の(???)障害者じゃない」と思ったのだとしたら、それも障害者差別だ。

 急に依頼したので、昨日のガイドヘルパーは初めての男性(50代)だった。男性のガイドヘルパーに優秀な人は非常に少ない。そのくせ、企業経験者は変な自信もあるので余計に始末に悪い。
 そのくせ、相当おバカだと思う。つまり、ふつうのおっちゃんだ。僕はふつうのおっちゃんとまったく話が合わない。昨日のおっちゃんがおバカだと思ったのは、途中で会話の中で私が元教師だとわかっていたのに、そのあと、昼食を食べているとき、「日本は日教組がダメにしたと言われている」という話をしたことだ。
 僕は日教組に何の義理もなく、「闘わない組合」として批判しているぐらいなので、まだよかったというか、さらに問題は複雑だが、とにかく「今、安倍がダメにしていることについてはどう思っているんですか。テレビばかり見ていると本当のことはわかりませんよ」と言ったら黙った。それから外貨の話をしているとき、「でも、さすがにあれはダメでしょう。元」と人民元の話を何か眉をひそめる嫌中的ムードで口にした。そして中国批判を少し展開した。「いや、アメリカの投資家も人民元には注目していますよ。確かに危険な要素はあると思いますけどね」とだけ言ったが、嫌中的な話を食事中に私にするなどということが、ふつうのおっちゃんの感覚であり、「テレビだけ見ていると本当のことはわかりませんよ」の延長だと思った。僕は野村証券が大連でトップシークレットなプロジェクトをしていることを、その中身までは教えてもらえないが、とりあえずそこまでは大連の友人の中国人に聞いて知っているが、その話はしなかった。一方、国内でFXをやっている友人に聞くと、FXで人民元を扱える会社は限られており、不可能と思っておいたほうがいいということだった。
 政治と宗教の話はタブーと言われている日本社会で、日教組や中国の悪口を何の気なしにしてしまうのは、これまで自分が属していた企業社会で、それがタブーではなく、共通項としての安全パイだったからではないかと思う。そんなおっちゃん社会に、私はまったく無縁だ。たぶんその延長戦上にセクハラやモラハラが共通項の安全パイである異常な世界も広がっているのだろう。
 なぜ会社を途中でやめて福祉の仕事に入ったのか聞いているとき、事情を話したあと、福祉の仕事がいかに儲からないか話していた。「不思議なものですね。援助職と言いながら、援助される側の方がお金持ちのときが多いんです」と彼は言った。
 そのとき、我々はサイゼリヤにいた。なぜなら3つの銀行での手続きがやたらと長引き、そのときすでに3時前。いくつか知っているおいしい店、数店はランチタイムが終わり、夜に再開するまでの休憩に入っていたから、とりあえずそこしかなかったのだ。彼は399円のパスタをひとつ頼み他には何も頼まず、水をくんできて飲んでいた。私はドリアのほかにセロリの酢漬けやドリンクバーを頼んでいた。そのとき私が思い出していたのが、この間、チームバリアフリーのバリコミの帰りにサイゼリヤに行ったとき、ある方が(FACEBOOK友達だけど)ハンバーグとパスタ、デザート、ワインピッチャー500ml、ドリンクバーをひとりでたいらげていたことだった。
 だが、あとから考えると、むしろ、彼は横目で見ていた、私がその日に動かしたお金のことを言っていたのかもしれない。
 もうひとつ、かなりストレスフルだったことは、たとえば、私が「そこを右です」と言ったとき、彼が「はい。行きましょう、行きましょう」ということだった。私の考えでは「はい」で十分だが、譲歩しても「行きましょう」は一回でいいだろう。なぜ二回いうのか、自分で自分のリズムをとっているのか、そんなことはこっちに関係ないので、なんとか内面で処理できないのか?と思った。方角を言うたびに、これを繰り返されると、ええかげん、うんざりしてくる。だが、私が思ったことを全部言語化すると、絶対喧嘩になるので、私は思ったことの殆どを言語化しないで生きているのである。(誰や?「それでか?」と言うとるのは?)
 で、自宅に帰着して、時間数などの報告書類を書く彼。だが、書き方が間違っている。実質利用時間は分まで正確に書き、利用算定時間は15分刻みの時給計算時間を書くのに、いきなり実質利用時間のところに利用算定時間を書いている。なんだ、企業人間だったのに実は書類も書けないのか? 事業所で指導を受けていないのか。受けてなくても、「実質」とか「算定」とかいう言葉の意味も考えないのか。考えれば普通、わかるだろう。私は「ここはこう書き、ここはこう書くのだが、今回はどちらでも同じ計算になるので、訂正しなくていい。だけど、書類の書き方は覚えておいてくださいよ。切り捨て、切り上げが正しいかのチェックをする係が内勤にいるはずだから」と指導しておいたが、それは事業所が全員にちゃんと指導しておけ、利用者が指導するのはおかしいというクレームを私は何回、事業所にいれたことだろう。さらに特記事項に行動記録を書きはじめたので「そこは危険などの発見がなければ書かなくていい。行動記録は書かなくていいと聞いていないんですか」「聞いていません」やはり、私の担当者だけにそう言っているので、今回初めての人だったので、事業所で指導が漏れたのだ。
 私がこの件で事業所に「障害者のプライバシーの侵害である。夫が妻に提出を求めたらDVであることを障害者にはしていいということはありえない」とクレームを入れると、事業所は「市の監査があるので、それでは通らない」と無思想なことを言った。「それじゃ、市が間違っているから、私が市に電話する」と言って、電話したら市の答は「長澤さんの言うとおりであって、ここに行動記録があるかの監査は行っていない。特記事項はないときはなしでいい」というものだったので、それを事業所に伝え、なんなら、直接市に確かめてと言ったのだが、その後、私の担当者にだけ、「ないときは書かなくていい」というという無思想な方策を事業所はとっている。それとも、「うるさくない障害者のプライバシーは侵害していい」という思想を確立しているのかな?苦笑。
 ここは書かなくていいんです。と私は言った。理由を説明した。しかし、私に言われる前になぜ、事業所のどのひとりでもいい、「これはプライバシーの侵害ではないか?」という疑問を自ら起こさなかったのだろうか? やっぱり何も考えずにテレビだけ見ているから嫌中、嫌日教組なのである。
 ふつうのオヤジはつくづく嫌いだ。
 不思議なことというか、当然のことというか、話が合うのは、「本物のインテリ」と「自覚を持った底辺」だ。

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