書くことの秘儀

「書くことの秘儀」日野啓三 読了 
 若いときから、日野啓三の小説に抱いてきた親近感は、やりたいことが似ているという実感だった。そしてそれは詩と隣接としているという意味でも同じだと思ってきた。
 この本は小説を書くということについての評論なのに、なぜか僕の宗教学的評論「魂の螺旋ダンス」と多くの共通点があった。 
 小説を書くとは暗い無意識の底からエネルギーを汲み出し、未知の虚空へと意識を広げることだという自覚が日野啓三には強い。そのことを説明するために、人類の意識の歴史をたどり、先住民シャーマニズムから超越的な意識までを渉猟する。
 何日もかけて読むと、終結部が頭に残るのだが(ああ、高次脳機能障碍!)、屈原の『離騒』を無意識とつながり、天空へと広がっていく文学の中のひとつの境界線にたつものとして紹介し、最終章ではマグリット・デュラスの『愛人』の中にそれら文学の歴史のすべてを踏まえて、小説を書くということの究極を見ているのは、とても心そそられた。
 あえていうなら、日野啓三の限界はそれら内面的な魂へのフォーカスが強すぎることだ。それと同時に社会的な次元も総合して小説の中で扱おうとした男に大江健三郎がいると僕は思う。
 だが、僕自身の中でそのふたつは未だ統合しておらず、詩、小説、評論、雑文(FACEBOOK含む)の中に、ちりぢりに分裂している。

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