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自己紹介 大阪文学フリマ A5

間違ってました。大阪文学フリマのHONBAKOブースで作る合同本は、A5版なので、見開き2ページを予約した私が書くべき原稿は、A4が2枚ではなく、A5が2枚でした。10分で削って(余白もいるため)三分の一程度にしました。(仕事はやるときは速い。)

『一三分間、死んで戻ってきました』長澤靖浩著 ひかる工房刊 一四〇〇円

 私は二〇一三年の二月に心室細動という心臓発作を起こし、一三分間、心肺停止しました。その昏睡状態の間に「臨死体験」と呼ばれているような「生死を超えた覚醒」の経験をしました。「自分だという意識のない『ただの覚醒』が全宇宙に広がっている」といった状態でした。この本の前半は、言葉で表現するのがとても難しい「臨死体験」を、なんとか表現しようとする試みの跡です。また、一三分間の心肺停止から、何故奇跡的に蘇生できたのか。臨死体験とはいったい何なのか。それについて、仏教や脳医学、量子脳論なども参照しながら、いろいろな仮説を紹介しています。
 その後、私は奇跡的な回復を遂げました。ただ「転倒しやすい」という身体障碍が残り、三一年間務めた教職を退きました。外出の際は車椅子を利用するようになりました。しかし、喪われるはずだった命を取り留めた私は、残された生涯を「生きているだけで丸儲け」とありがたく受け止めることになりました。
 私がこの本で描きたかったことは大きく分けて二つあります。
 ひとつは、この世での縁が尽きたら往くことになる生死を超えた世界は、完全な「静寂とやすらぎと至福」であること。だから死について心配することは何もありません。

(綴じる部分の余白)

 この本で描きたかったことの二つ目は、今、生きているこの「娑婆世界」は様々な障碍があるからこそ、「喜びや苦しみ」「楽しみや悲しみ」に満ちたワンダーランドであるということです。この本の眼目は、この二つ目の方にあります。私は医学的にも「身体障碍者」と呼ばれる立場になりました。が、そうでなくても、この世は「生死を超えた覚醒」に比べるならば、障碍だらけなのです。だからこそ、出会いや別れ、愛や憎しみ、数々のドラマが日々生じ、その中を踊り続けていくのです。もっと言えば、時空とは、もつれや、分裂、透明な光をさまたげる「形あるもの」や、心の翳りなどによって創り出されているのです。
 そのことが臨死体験によって、はっきりと理解されるようになりました。そして、通常はマイナスのことに想えるかもしれない、そういったすべての「障碍」に感謝すら覚えるようになりました。
 この本は確かにやはり臨死体験の本です。ただ、臨死体験とは「無碍なる清浄」の世界にいってしまっている状態だけを指すわけではありません。その世界を知った上で、障碍だらけの娑婆世界に戻ってきて、生きているという奇跡を一瞬一瞬踊りきること。そのすべてを抱きしめた光の万華鏡が広い意味での臨死体験です。だから、私はこの本を書くために、蘇生してから十年の月日を要したわけなのだと感じています。

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