君が代研究 整理 (付録 般若心経末尾)

最古の起源
妹が名は千代に流れむ姫島の子松が末(うれ)に苔むすまでに(万葉集 巻二)
(挽歌・相聞歌)
水死した、いとしい乙女を悼む。

我が君は千代に八千代に細れ石の巌となりて苔のむすまで(古今和歌集)
(紀貫之が賀歌に分類)

君が代は千代に八千代に細れ石の巌となりて苔のむすまで(和漢朗詠集・後期)
(祝の歌)

1869年、薩摩藩の大山巌が「天皇に奉る礼曲」を依頼され、薩摩藩で歌われていた「蓬来山」から、歌詞をとる。

ここで劃期となる問題の焦点は、
紀貫之がこの歌を「賀歌」に分類したとき、何を考えていたかだ。
それを真名序と仮名序から読み取るという仕事がある。

(『全対訳日本古典新書 古今和歌集』片桐洋一/訳・注 創英社)によると、
真名序のこの部分が問題である。

淵変為瀬之声  寂々閇口
砂長為巌之頌  洋々満耳
(書き下し 淵の変じて瀬となる声、寂々として口を閉ぢ、砂の長じて巌となる頌、洋々として耳に満てり。)

この対句になっている部分は、前者が歌番号933の歌を指していて、後者が343(わが君…)を指していて、933(世の中はなにか常あるあすか川昨日のふちぞ今日は瀬になる)のような『無常を嘆く声はひっそりと途絶えてしまい、343のような、さざれ石が巌となるまでをことほぐ祝い歌のみあふれるばかりに耳に聞こえて来る。』 という意味になる。

思継既絶之風、欲興久廃之道
(書き下し 既に絶えたる風を継がむことを思ほし、久しく廃れたる道を興さむことを欲ほす。)
『だから、かくのごとく既に絶えてしまった歌をよむ風習を継ごうと思い、久しくすたれてしまっていた歌道を再興しようとするものである。』というのである。

『』内は同書、p449からの引用。

つまり古今集真名序によると、君が代の原歌、「我が君は・・・」の歌は、「しょうもない歌」の代表として古今集に収録されたことになる。

端的に言うと、無常こそ日本の文芸の美学であり、長久を言祝ぐことに偏向してきたのは嘆かわしいという論を展開するため、君が代は古今和歌集に収録されたのである。

関連して『般若心経』末尾のスヴァーハーを、弥栄(いやさか)と訳した学者がいるが、弥栄とは直線的時間の中での長久を言祝ぐ神道の用語であり、仏教には全く似つかわしくない。

確かにボーディ スヴァーハー は、悟りの成就におめでとうと言っているが、
それはあらゆるこの世の権威を超え、直線的時間を超え、無常、無我、空(くう)を悟ったことに合掌しているのである。

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