臨死体験を意識している自分は存在するか
臨死体験中は、それを意識している自分の意識はない覚醒だけである。
しかし、それを未発の意識として記述したのは、蘇生した私の已発の意識だ。
だから、臨死体験とは、已発の意識から対象化された未発の意識に過ぎない。
それそのものは、絶対に描写されない。
描写しようという発想もない。
こちらの世界から乱暴に言えば、そんなことは永遠にどうでもよくなるのだ。
それほど深い静けさなのだ。
発句だけがその表現が可能だ。
今回「名前のない新聞 11月号12月号」で語り下ろしたのが「未発の意識」について一番精しいので、その部分を転載したいけど、PDFなので、やり方知らなくてそのうちやります。
今、朝で忙しい。
臨死体験の全容および蘇生してからの生き方についてはぜひこの本を読んでください。
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