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アミタの観た夢 (x-9)

 高野山の宿坊で一泊二日の日程で行われた、そのマッサージのワークショップは、テクニックをみっちり学ぶというようなものではなかった。

 相手の身体を触りながら、自分の手の赴くところ、止まるところ、相手の深い息や、こわばりの弛緩、そのようなエネルギーを読み取りながら、直感的に進めていくマッサージの入門コースとでもいったものだった。

 「帰ったらすぐに自分のパートナーや友人と学んだことを交換しましょう。相手にも、エネルギーを読み取りながら自然にまかせて行うマッサージを覚えてもらいましょう」

 講師の若い女性の先生は折りに触れてその台詞を繰り返した。合計で二十名ほどの参加者がいた。女性の方が多く、男性は四、五名だった。どうやら、カップルで参加している人はいないように見えた。

 「次にはこういうことをしてみます」講師はワークのひとつひとつを丁寧に説明し、必要に応じて助手とデモンストレーションをしてみせる。それから

「ではパートナーを選んで」と言うのだった。

 言われるたびに、奈津子は当たり前のように女性の参加者に声をかけたり、かけられたりした。

 男性の参加者は数が少ないこともあって、殆どの場合、女性の参加者とペアを組んでいた。男性にとっては、男どうしで体を触るより、女性を触ったり、女性に触られるほうがずっと気持ちいいというのもあるのかもしれない。

 女性は女性に触られても気持ちよかったが、男性は同性に体を触られるということに(ゲイなどの特質を持った人を除いた場合の話だが)心地よさを覚えることは女性に比べて少ないのかもしれない。

 もちろん特別な技術をもった男性が、職人技を味あわせてくれるのなら、話は別であるとしても。。

 そんなとき、抵抗感なく、男性とペアを組んでいる女性は、日ごろからスキンシップに関してオープンな性格の人たちだったようにも感じ、一種羨ましい気持ちがないではなかった。しかし、奈津子には男性と触れ合うことに対して、他の女性以上に抵抗感があった。それは恐怖感と言ってもいいぐらいに強い抵抗感だった。

 脚の手術をする直前の高校一年生の夏休み、八雲ケ原キャンプ場で大沢先輩にふいにキスされたこと。その甘酸っぱい記憶だけが、奈津子の唯一の「男性経験」と言ってよかった。他には思い出すのもおぞましい、電車の中での痴漢などの記憶が、無理矢理、心の底に封印されているだけだ。

 いつも松葉杖をついている奈津子に、恋愛につながる意味合いで近づいてくる男性は、専門学校にも、職場にもこれまで一度もいなかったのだ。ましてや、訪問先の男子高校生と男女関係になることは言わずもがなの御法度だった。

 こうしてそのまま奈津子は、二六歳にまでなっていたのである。


 それでも一泊目の夜の懇親会で、たしなむ程度にお酒が出たとき、皆が自然に席についた流れの中で、奈津子は自分の父親ぐらいの年齢の男性の向かい側に同席することとなった。

 男性がおちょこに日本酒をそそいでくれ、奈津子もそそぎ返した。彼は滝川と名乗った。自分の職業を鍼灸あんま師だと自己紹介した。

「でしたら、十分に技術がおありなのに、どうしてこのワークショップへ来られたのですか?」

奈津子は素朴な疑問からそう尋ねた。

「経絡やツボの知識から解き放たれたくて・・・。そこから自由になったフリーダンスのようなものを知りたかったのかな」

 彼はそう語った。セオリーに基づいた訓練の果てだからこそ言える言葉のように思えた。


 翌日の最後のセッションの時だった。できるだけ今まで組んだことのない人と四人グループを作るように、講師の指示があった。

 これまで避けていたからこその必然的な流れで、奈津子は男性ふたりが混じったグループに入ることになった。

そのグループで講師が話し合うように提示したテーマは「触れ合うことの歓び、触れ合うことへの抵抗」だった。心のどこかで、奈津子はこのワークショップに来てからずっと自分の潜在的なテーマとして、うすうす予感していたものをズバリと突きつけられた気がした。

 四人で日ごろ感じていることや、このワークショップへ来てから感じていることを話し合ったが、奈津子には男性と触れ合うことには漠然とした抵抗感や恐怖があるというざっくりとした感想以上には、深まった話ができなかった。

 ストップウォッチを見つめていた講師が

「今話している人を最後に、そろそろ話し合いを終わってください」と言った。

車座になった奈津子たちの四人は口を閉じて、ほかのグループもすべてざわめきが鎮まるまで、黙って見つめ合っていた。

 「では・・・・。四人の中から最後のセッションの相手を選び、ふたりずつのペアになってください」

 これは一種の公案だと奈津子は思った。自分自身が答を問われている。安心を選ぶか、冒険をするか。いったい何を一番望んでいるのか。

 奈津子は自分の円にいるほかの三人に素早く目を走らせた。もっとも安心できるパートナーは、うち唯一の女性である学生さんだ。昨日もたくさん話をしたし、気心も知れている。

 だが、奈津子は思うのだった。もしも、こんな機会の時にまで、また女性を選んでしまったら、自分はもう一生男性に体を触られることを避け続けるのではないか。

 奈津子はひと呼吸おいて、後のふたりの男性の目をそれぞれ覗き込んだ。

 まだ誰も自分からアクションを起こそうとはしていない。誰かがアクションを起こすのを待とうか。それとも自分から動こうか。

 男性のうちのひとりは、昨夜プチ宴会で話をした年配の鍼灸師の滝川だった。歳の差もあり、この人には少し安心感を覚えるような気もした。

 もうひとりは自分よりも年下に違いない学生風の男性だった。彼は若々しいことに加え、とても端正な顔をしていた。ふと横顔を見せたときなどはっと息を呑むほど美しいとさえ思った。

 見た目だけで言うなら、恋愛対象の候補に最もふさわしい存在だった。

 だからこそ。だからこそ、これまでの奈津子であれば、この男性こそを真っ先に避けるはずであった。

 片足が人工骨で、一生松葉杖を放すことのできない、いつ死ぬのかもわからない自分が、この美しい男性に何を期待することがあろうか。

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