#11 プロ初の移籍はヴァンフォーレ甲府へ 【あべしょーのKick Story】
阿部翔平選手のこれまでの人生やキャリアを振り返りながら、「阿部翔平のキック理論」が確立されてきた背景を探るシリーズ、「あべしょーのKick Story」。今回は甲府に所属していた2014〜2015シーズンがテーマです! プロキャリアで初めての移籍を経験した阿部選手。ヴァンフォーレ甲府に移籍した理由、クラブでの阿部選手自身のミッション、そして甲府の街の印象も話していただきました。
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――まず、ヴァンフォーレ甲府への移籍の決め手は何でしたか?
当時、ヴァンフォーレ甲府のほかにも、練習環境がとても整っているチームからのお誘いもありました。ただこのときの心境としては、名古屋のように練習するグラウンドも決まった場所があって、クラブハウスも含めてすべてが整っているというよりも、ハード面も含めて「頑張っているクラブ」でのサッカーを肌で体験したかったというのがありました。そのときの甲府は練習のグラウンドが定まっていなかったというのもあり、チャレンジという意味も含めて移籍を決めました。あとはワインの存在もちょっとだけ頭にあったかもしれません(笑)
――30歳で初の移籍でしたが、どのような心持ちでしたか?
僕のなかに不安の気持ちはなく、むしろ「まったく不安そうじゃないよね」と妻を不安にさせてしまったぐらいでした。それほど長くサッカーができるとは思っていませんでしたが、30歳に入ってからは新たな場所でサッカーができることに対する楽しみの気持ちが大きかったです。甲府に加入した最初の練習でも、まわりの選手にアドバイスをしたり何かを伝えたりと、チームを良くしていきたいと感じてすごく楽しみな気持ちになりました。
――阿部選手にとっては思い描いていたとおりのキャリアでしたか?
まったくの予想外でした。長年の目標だったプロになることができたとはいえ、1年目でプロを続けることの難しさは感じていて、当初プロ入り時に結んでいた契約期間で終わってしまうなと感じていました。そのときは自分が好きなインテリアの仕事でもできたらいいなと思っていて、何かのプロフィールの「もしJリーガーじゃなかったら?」という質問にも「インテリアの仕事」と答えていました。ただ、2年目になって実際に試合に出られるようになると、27〜28歳までサッカーができたらいいなと思うようになり、それが少しずつ伸びていって、そうして今年で38歳を迎えることになります。なので本当に計画的ではないですね(笑)
――最初の質問で環境面の話がありましたが、練習場所が定まっていないなかでピッチの感触やキックの感覚の維持などで工夫していたことはありますか?
練習場所が定まっていないことでプラスに働くこともありました。例えば、アウェーではそれこそスタジアムごとに芝が違っていて、その芝に慣れるためという意味で練習場所を変えるというのは悪いことではなく、どんなピッチの状況にも対応できるようにするにはよかったと思います。毎回の練習ごとに用具を運んでくださるトレーナーさんをはじめ、僕らの練習環境を作ってくださる方たちの努力や、グラウンドを快く提供してくれる方々の存在というのを近くに感じられたのが甲府でした。
――甲府の街や人にはどのような印象を抱いていますか?
甲府サポーターには距離の近さを感じました。街を歩いていたりしても「阿部選手!」と声をかけてもらえることもあってすごく好きでした。あとは果物であふれていますね。山梨は農家さんとかもクラブをサポートしてくださっていて、「今日とれたブドウだよ」と果物をいただくこともありました。自然に触れられるというのは、特に子どもがいる選手にとっては良い環境だと思います。自然に近くて、人の温かみがすごく感じられる場所だと思います。
――甲府はどちらかというと中位進出が目標だったチームだと思いますが、ベテランとしては何が求められていたと考えますか? また、阿部選手自身はどのようなことをチームに還元しようと心がけていましたか?
甲府は守備主体のサッカーをしてきたというのもあって、ベテランとしてはどういうふうに守るのかを当時の城福(浩)監督から聞きながら、守備のルールを改めて確認しました。そして、それをチームに落とし込む際に他の選手にわかりやすく伝えたり、教えたりというのを意識していました。攻撃面では、足が速い選手、運動量のある選手、高さで勝負できる選手など特長のある選手たちをどう活かしていくかという部分を心がけていました。
――甲府移籍後はウイングバックでの出場機会も多かったと思いますが、前目のポジションでプレーするにあたって意識していたことを教えてください。
チームが守備主体だったのもあり、サイドバック的な動きをすることが多かったです。ウイングバックはひとりで仕事をするイメージがある人もいるかと思いますが、個人的にはスリーバックの選手や、ひとつ前のシャドーの選手と関係を持ったりというのを意識していました。名古屋でもサイドハーフの選手との関係性を大事にしていたので、甲府でもシャドーの選手といっしょに動くことを意識していました。僕自身もひとりで突破できるような選手ではなかったので、自分の強みを活かすためでもあります。サイドバックとして見ていたひとつ前の選手の理想のプレーを体現しつつ、サイドバックに近い動き方をしていたので、特に違和感なくプレーできました。
――2014シーズンのホーム・ガンバ大阪戦では待望のJ初ゴールを決めました。
僕自身はゴールが決まったとき「入っちゃった」と思いました。実際あれはクロスだったんです。クロスに味方が合わせて何かが起きればいいなと思っていたのが、相手の足に当たっていい感じのループシュートになりました。そのとき僕は無意識に「入っちゃった」とつぶやいていたらしいのですが、石原(克哉)先輩に「『入っちゃった』じゃねーよ!」と叩かれましたね(笑)
――2015シーズンの古巣・名古屋グランパス戦では決勝点となる見事な直接フリーキックを決めました。
古巣の名古屋からとった直接フリーキックも印象的ですね。そのときは山本(英臣)キャプテンに「ここはお前だから」と言われたので僕が蹴りました。楢さん(=楢﨑正剛)は僕が昔から憧れていた選手だったので、その楢さんからゴールを奪えると「引退してもいい」とか「やり残したことはありません」みたいな気持ちになりましたよね(笑)
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次回の「あべしょーのKick Story」はジェフユナイテッド千葉に在籍した2016シーズンについてうかがいます! 千葉県には市立船橋高校でプレーをしていたとき以来の「凱旋」となった移籍。そこでのプレーでは何を感じたのでしょうか? 次回もどうぞお楽しみに!
(次回の更新は8月上旬を予定しています)
監修・制作:阿部翔平(SHIBUYA CITY FC)
取材・制作・編集:川上皓輝(SHIBUYA CITY FC スタッフ)
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