月夜の砂漠の蝶の夢

 ようやく見つけた。
 夜の砂漠を漂う半透明の蝶。月光が震わすその羽は、ラムネのビー玉よりも硬そうで、反面、赤ん坊の頬のように柔らかそうでもある。実際に捕獲できた人間がいないので、本当はどんな手触りなのか誰も知らない。月明かりを透かすその喋は、界隈では半ば伝説化していたが、ついにこの目で見ることができた。
 彼女の噂を追いかけてここまで来たのが二ヶ月前。砂を焼く太陽光が陰る時間帯から、北へ彷徨い南に惑い、現在地の把握すら満足にできなくなってきた頃、すいと俺の前に姿を現した。さあ、一緒に帰ろうじゃないか。最高級の虫ピンを用意してあるんだ。
 彼女は上に下にふらふらと浮沈しながら、何か探しているようにも見える。存在そのものが謎のゆえ、その生態は黒い箱に覆われている。何を食すのか、それすら分かっていない。
 彼女との距離は四メートル弱。彼女の歩調に合わせて俺は飛ぶ。もう俺に気が付いているはずだが、ことさら逃げようとしないのは人に慣れていないからか。それとも誘っているのか。飛びかかれば捕獲できそうな距離だが、無理をしてあの羽をつぶしたくはない。夜はまだ明けない。じっくり二人の距離を詰めていこう。
 それにしてもなんて綺麗な羽なんだ。見れば見るほど目が離せなくなる。かの蝶は夜にしか飛ばないといわれているが、それはあの羽に対して、太陽の光が下品すぎるからだ。月光こそがあの羽と囁きあう資格を持つ。今宵、あの女神の羽衣をこの手にするのだ。
 やはり捕虫網は駄目だ。無粋すぎる。恐れ多いが御御足をトリモチで捕らえさせてもらおう。トリモチの長さは二メートル。あと少しだけ女神の御前に近づかせていただこう。
 あと半歩で射程距離に入る、と思った瞬間、美女がこちらを振り返った。あんなにもつれない態度だったのが、一転、甘えるような素振りに早変わりだ。
 焦ってトリモチを突き出すが、懐に入られると長尺の武器は弱い。慌てているうちに、先端のトリモチが俺の脚にまとわり付きやがった。
 強力なトリモチは俺の自由を奪った。もがけばもがくほどそれは絡まる。足場の悪い砂地も影響し、気が付いたときには全身がんじ絡めになっていた。
 横たわって唸っている俺の鼻の頭に、満月の光をたたえた蝶が舞い降りる。蝶は、丸まった口吻を俺に向かって伸ばしてきた。
 ぴたりと合わさった透きとおる羽は、いただきます、の掌にそっくりだった。

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