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ハインリヒ・ハラー『セブン・イヤーズ・イン・チベットーチベットの七年』

ブラピ主演映画の原作本だが、映画の20倍は面白かった

インドで戦争捕虜となったオーストリアの登山家は、収容所を脱走し、想像を絶する過酷な旅のはてに、世界の屋根チベット高原の禁断の都に漂着する。そこで、若き日の14代ダライ・ラマの個人教師を務め、数年を共に過ごす。

こう書くと、この冒険記の主眼が、ダライ・ラマとの邂逅にあると思うかもしれない。そこがチベットでの暮らしのハイライトであることは間違いないが、この本はハラーの物語であって、ダライ・ラマの物語ではない。

実際ラサでの暮らしは後半の半分に過ぎず、前半はハラーと仲間達が収容所を脱走してからラサに流れ着くまでの逃避行が描かれる。

この前半部分で既に凄い。
ナチスドイツの威信をかけたナンガ・パルバット遠征隊に参加し、首尾よく新たな登攀ルートを見つけ帰国のためインドで船を待つ間に第二次世界大戦が勃発。イギリス支配下のインド軍に敵性国民として捕らえられ収容所に送られる。

幾度か脱走を試み失敗し仲間達も徐々に脱落していくが、最後の脱走でハラーとアウフシュナイターの二人はヒマラヤ山脈を越えてチベット領内に辿り着く。役人に滞在許可を求めるものの、体よく扱われインドへ強制送還されそうになるが、ハラーたちは道中ふたたび脱走し、今度は人に見つからないよう昼は隠れ夜間のみ移動する。極度の飢えと渇きに苦しみながら荒野をゆく様子が、時に苛烈で時にユーモアを交えて記されていく。チベットの巡礼の一群や、役人の対応ぶりなどチベット社会の様子もハラーの観察眼を通して活写されていく。

後半部分ラサに到着してからの物語は、更に興味深い。
ラサのチベット社会に受け入れられて身辺が落ち着いてからは、普通の人々の暮らし振り、食べ物や風習、結婚と家族の構成、身分による違いなど、チベットの様子が描かれる。

中国に併合される前は仏教的世界観で牧歌的で平和な暮らしがあった、と思われているかも知れないが、そんなラサにも役人の汚職、堕落した僧侶も泥棒市も売春宿もある。第三者の視点での描写が新鮮だ。

若きダライ・ラマの友人兼個人教師となり親交を深めていくが、間もなく中国共産党の人民解放軍が「帝国主義的介入からチベットを解放する」と称して侵攻してくる。国境付近では武力衝突が起きて、圧倒的な中国軍の前に各地の知事は次々と降伏していく。抜き差しならぬ事態に中央政府は国連に援助を求めるものの、国連は「中国とチベットが平和裡に統一されることを望む」という声明でその援助を拒絶。
ダライ・ラマは国外へ逃亡することを決意し、その行程を見届けたのち、ハラー自身もインドへ脱出していく。

ここで描かれたチベットの様子は独立国家としての最後の姿である。

この後ダライ・ラマ14世は中国から「西蔵地区の宗教的自治を認める」として自治区の首長に就き、全人代でチベット民族の代表として常務委員会副委員長の座に就くも、チベット独立を求める武装蜂起を機に再び国外へ亡命、現在もインドで亡命政府を指揮しながらチベットの高度な自治権を求めている。

残念ながら本は絶版になっているよう。角川のメディアミックス戦略には随分とお世話になったが、絶版のままにしておくなら、是非とも他社に権利を譲っていただきたい。個人的には山と渓谷社を希望する。

映画についても一言。

ジャン=ジャック・アノー監督、ブラッド・ピット主演の映画は原作とは少し異なる味付けだ。

ラサでの暮らし、とりわけ好奇心旺盛で聡明な若きダライ・ラマとの親交の中で、ハラーの心が浄化されていく過程が克明に描写される。

その一方で、チベット併合を目論む中国軍は、スター・ウォーズの帝国軍並みの悪役ぶり。虐殺シーンもあって、中国では上映禁止、監督と演じたブラッド・ピットとアウフシュナイター役のデヴィット・シューリスは無期限の中国入国禁止措置になったというから、もはや笑うしかない。

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