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ベトナムの山奥で暮らすことになったワケ

きっかけは小学5年生

道徳の時間に国連について調べる時間がありました。
何がきっかけか覚えてないけど、UNICEFについてまとめたんです。
たぶんUNICEFって聞き覚えがあるとか、そんな理由だと思うけど
小学5年生のわたしは、当時UNICEFの親善大使をしていた
オードリーヘップバーンに心を奪われました。

笑顔の子どもたちと、優しそうに微笑む大女優。

「慈善活動をする、心がきれいな人は
こんなにきれいなおばあちゃんになれるんだ!」

そう思ったわたしは彼女みたいになりたいと思い、
それから20年近く国際協力って何だろう?と手探り手探り。
2023年からJICA海外協力隊としてベトナムに派遣されることになりました。
(職種は、コミュニティ開発)

ベトナムが第一希望?

よく「ベトナムが第一希望なの?」って聞かれますが、答えは「NO」

ベトナムが嫌いなわけではないけど
アフリカの子どもたちを笑顔にしていたオードリーヘップバーンの写真が
きっかけの身としては、どうしてもアフリカへの憧れが強かったのです。

それに「ベトナムって発展途上国?」と聞かれると首を傾げたくなるし
ハノイやホーチミンを想像すると「本当にお手伝いが必要なの?」
って不安になっていました。

「何事も経験」と思って生きてきたけど、大事な2年間、
色々頑張ったのにほんとうにベトナムでいいの?
もっと自分を大事にした方がいいんじゃない?etc…
直前まで葛藤したまま飛行機に乗りました。

蓋をあければ…

ハノイで1か月間の現地語学訓練を終えて、
去年の6月、モクチャウに着いて、安心と驚きに襲われます。

道路では少数民族の人が果物を売っているし、周りは山しかない。
スーパーマーケットはわたしが暮らすところから10Km先で
買い物は市場と個人商店。(そんなのはまだ可愛い方で。)

少数民族の村に行くと、トイレやシャワーは外にあるし。
ゴミは自分の家の前で燃やすのが当たり前。
コンロはなくて、囲炉裏で料理をしているし。
電気が通っていない村もあるし。

それまで、日本食が手に入る首都ハノイで暮らして
「協力隊で来る意味なんてあるのかな?」と思っていたのに
こんなにも大きな格差を目の当たりにして大反省。

モン(Mông)族のお宅のキッチン。毎日これでお料理をします。

モクチャウでの活動

わたしのお仕事は、少数民族観光をしている
4つの村、2つの少数民族を対象に
観光発展のお手伝いをすることです。

CBT(コミュニティ・ベースド・ツーリズム)という
地域住民主体の観光運営をベースに
収入向上や生活のベースアップを目指しています。

わたしは初代隊員なので、まだまだ分からないことばかり。
去年1年間は、たくさん知ることからスタートしました。

4つの村全部に滞在して現地調査して
たくさんの魅力を知って、村の人と交流して
「もっとたくさんの人に知ってほしいな」と思うようになりました。
(素朴な田舎暮らしと少数民族文化の体験ができるって素敵なこと)

来年の5月、わたしが帰国するまでの1年間
多くの人にモクチャウと少数民族観光の魅力を知ってもらえるように
記事を書いていきます。

ちょっとでも、誰かの目に止まるといいな。

タイ(Thai)族のお姉さんたちと、おもてなしごはん


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