いい俳句とは ver 1.0
今年の初めに、夏井いつきのおウチde俳句くらぶに入会した。ご多分に漏れず『プレバト!!』で興味を持ったクチだが、新年を機に妻が一緒に登録してくれた。そうして句作を始めた。
『プレバト!!』を見ていると、俳句の良し悪しをわかった気になる。もっと言うと、自分でもそれなりの句を作れるんじゃないかという気になる。
でもそれはとんだ勘違いで。
我が身一つで俳句を詠むとなると、絶望的な句しか生み出せない。原曲と一緒に歌って「それなりに歌えるじゃん」と思っていたのが、カラオケで失望するパターンと同じだ。
ただ歴代の高評価の俳句を見ていると、ある程度、「いい俳句」の共通項が見えてきた。気がする。それを一旦書き残しておこうと思う。
「いい俳句とは?」なんて、散々研究されていると思う。丹念に解説された本もあると思う。でもググっても体系的な説明がパッと出てこなかったし、自分なりの考えを1回整理するためにまとめてみたい。
これから書くことは、ひどい誤解あるいは狭量すぎる見方かもしれない。
しかも自分が鑑賞した俳句のほとんどは、おウチde俳句クラブと『プレバト!!』に限られる。あとはTwiiterで仲良くしてくださる皆さんの句。圧倒的に少ないインプットで、壮大なテーマを書こうという、無謀な試みである。
それでも。
考察せずに俳句を詠み続けるのは、自分の中で据わりが悪い。まだキャリア5ヶ月目だし、見方はアップデートしていけばいい(むしろアップデートされなかったらヤバいと思う)。
もし万が一、世の中の誰かの何かの参考になったら幸甚である。
いい俳句の定義
さて、「いい俳句」とは。僕にとっては
いい俳句 = 情景が大きく立ち上がる句
だ。そして情景の立ち上げ方は、2パターンに分けられる。つまり、いい俳句のパターンは2つある。
ドラマ型:ドラマに季語を呼応させて、情景を立ち上げる
世界観型:季語を中心とした有機的な描写で、情景を立ち上げる
の2つだ。1つの句が両方に該当する場合もある。が、一旦わかりやすくするために、どちらに比重を置いていると僕が感じたかで、勝手に区分してみる。
先に例を示そう。写真de俳句の「天」から拝借します。最近はドラマ型の方が多いが、全体通じては半々くらいだと思う。
それぞれ考察してみたい。先に断っておくと、ここからはいい俳句について、言葉の関係性の観点でのみ語る。それ以外の要素については触れない。
ドラマ型:ドラマに季語を呼応させる、について
まったく意味不明かもしれないが、イメージ図と関係式で表すと。
で僕は捉えている。
いい俳句は、面積の大きい俳句だ。
面積を広くするには、まず底辺が長くなければならない。1つの俳句で雄大な情景を喚起するためには、ドラマ自体が豊かでなければならない。ドラマが豊かである、というのはキャラクター固有の複雑さが伝わるということだ。
他でもない「うのはないろの辞表」を書く人は、そういう人だろう。
他でもない「マドリガルの下手な」トニオは、そういうトニオだろう。
他でもない「だれも知らない区歌うたふ」人は、そういう人だろう。
小説や漫画では、キャラクターの設定が「こいつはお人好しでさ」みたいに概念で説明されることがある。それは読者に「こういう設定のキャラだから、こういう振る舞いをするだろう」と理解してもらい、スムーズに作品を導入する効果を生む。
だが、俳句にそんな余裕はない。17音の俳句では、ドラマのキャラクターを連想できる手がかりを示さなければならない。「優しき人」なんて言っても始まらない。誰だって優しい時はある。優しさをどう示すかにその人の特徴が現れる。
例えばそれは、「うのはないろの辞表」であり「マドリガルの下手な」であり「だれも知らない区歌うたふ」だ。安易な修飾語ではない手がかりワードが、キャラクターの複雑さを伝える。
そうして、魅力あるキャラクターによるドラマの一端を示した後で、依代として季語を組み合わせる。面積を広くするには、高さも必要だ。パーソナルなドラマを、万人が共感できるように、季語で道を開く。
それはドラマが演じられるに相応しい舞台かもしれないし、ドラマのキーアイテムかもしれない。あるいはキャラクター自体かもしれない。とにかくド
ラマを盛り上げ、映像をまとめあげるのが季語だ。
諸条件の下でベストな季語を選び適切に組み合わせると、ドラマに高さが生まれ、情景が広がる。これはもうマッチングの問題だ。この局面は、言葉のパズル感が特に高いと思う。
ドラマが貧弱だと始まらない。
ドラマが豊かでも、季語と呼応しなければ伝わらない。
難しいが、その2つをクリアしたときに情景が大きく立ち上がり、いい句が生まれるのだと思う。
世界観型:季語を中心に有機的に描写する、について
再び、イメージ図と関係式で表す。同じ三角形の面積だが三角比で考える。措辞が2つではないケースもあるが、基本は2つと見なして話を進める。
こちらもいい俳句は、面積の大きい俳句だ。そして情景という面積を大きくするためには3つ必要だ。
季語から距離のある措辞Bを見つける
季語から距離のある措辞Cを見つける
それぞれの関係性に適度な跳躍がある
どういうことか。実は自分でも、ここは余り解像度高く言語化できない。だが、「草々のロゼット青し斑雪」を例に説明してみる。
そんな具合に考えている。
凡人ワードや類想ワードで、いい俳句が生まれないのは、季語との距離が近く線分が短いからだ。跳躍も生まれにくく、情景が立ち上がらない。
動詞を2つ以上使っていい俳句をつくりにくいのは、直截的な説明になりやすいからだと思う。説明は、既存の言葉の言い換えでしかなく、どうしても距離が広がらない。
あと、季語と繋がらない措辞を用いたり、跳躍しすぎると、そもそも三角形が描かれず、意味不明な句になってしまう。僕はよくこれをやらかす。句作の基本を学び、ちゃんと情景の三角形を描けるようになるのが、今の自分にとっての課題だ。
三段切れは線分が分断されて、三角形になりにくい。擬人化の難易度が高いのは、適切な距離の確保や跳躍が難しいためではないかと考えている。
今後の句作に向けて
ドラマ型と世界観型に分けたが、世界観型にドラマ型は内包されていると思っている。で、多分上級者はドラマ型の句を詠んでも、世界観型として秀逸な句が自然とできあがっていると思う。
だが、俳句初心者の自分にとっては、分けて考えた方がわかりやすい。
というのも、句作時に中途半端になってしまうからだ。
ドラマを豊かにしなきゃいけないのに、季語との関係で何かを探そうとして、でも文字数が足りなくて、漠然とした言葉を並べる。そんなことが何回もあった。
だから、ドラマ型で作る時は、一旦季語のことは忘れて、ドラマを豊かにすることだけを考える。その後で季語とマッチングする。
逆に世界観型で作る時は、季語と面白い関係を築ける言葉をゼロベースで考える。季語を中心とした世界の、どこにピンを打ち込むか、思い切って楽しむ。
そうすることで見通しよく句作に取り組めるようになった気がしたので、まとめてみた。まあ、このあとすぐにまた壁にぶつかって、色々考えることが出てくると思うが、一旦の現在地である。
大分ボリューミーな記事になってしまった。そのすべてが妄想かもしれないが、このスタンスで投句を進めて検証してみたいと思う。あと、本を読んだりして勉強してみよう。
万々が一、最後まで読んでくださった方いらっしゃいましたら、誠にありがとうございました!またどこかでお会いしましょう。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?