26歳の小さな経営者〜古着屋〜

昨日は飲食の今までを書いてきたので
今回は古着屋を作るまでを書いていきます。

元々高校生の頃から古着が好きで
原宿や下北沢、高円寺などを
回りまくってたこともあって

弁当の事業が落ち着いてきた、23歳の頃に
まずは、メルカリで売ってみようと思い
超スモールスタートをしました。

そこからやってくと意外と売れる事が分かり、
18歳ごろから常に飲み歩いてた三五(今の相棒)が
古着屋でバイトをしていた事もあって
一緒にやらないかと言ってスタートしました。

三五とは18歳くらいの時から常に夢を語り合う
ダサい飲み会をしていた仲で
何かやってやろうと常に話していました。

当時から、三五とは何か一緒にやるのではないか
と、何となくそんな感じがしていました。

そんな三五とやるにあたって
メルカリをやめて
自分たちの古着屋をオンラインでスタートしました。

まずはTwitterとインスタを始めて
どうすればフォロワーが増えるかなんて
何も分かってない状態でスタート。

まずは買い付け先を必死に探しました。
初めて行ったところは
千葉の奥地にある倉庫でした。

買い付けの量なんてどれくらい買えばいいかわからないし、買い付け先の人に舐められたくもないので、無駄に8万分くらい買った気がします。

当時金なんて死ぬほどなかったので
売れるかもわからないのにそんな買うなんて
今考えるとどうかしてます。

常にこうしたら売れるんじゃないか、と
酒を飲みながら三五と話してました。

最初の頃は売上が上がらず
赤字続きで
三五に給料も渡せず
かなり辛い時期が長かったです。

初めてオンラインストアで売れた時の
感動は今も忘れません。
あれに叶うものはないかなとも思います。

そんなこんなで1年ほどやってくと
売上が20万程度はいくようになっていきました

今考えるとめちゃくちゃ少ないですが、
あの当時はめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。

そんな仲で、共同で店舗をやってみないかという誘いを受けました。

当時お金なんて本当になかったし
三五も別のところで働きながらと言う感じだったので
めちゃくちゃ迷いました。

けど、23歳で店舗やったらかっこいいべ
という思いが勝ち、
三五もやろうと後押ししてくれて
やることになりました。

結果的に言うと
共同で何かやるなんて
やめた方が良いと思いました。
めちゃくちゃ良い経験にはなりました。

相手側が求めているものと、こちらが求めているとのが違いすぎて、めちゃくちゃ難しかったです。

相手は売上重視、
こっちは俺らが思うカッコ良い店重視。
今考えると尖りすぎてました。

コロナが流行り出した4月、店舗を始めて半年も経たずして、誘ってきた相手方はもう辞めると言ってきました。

しかもちゃんと初期費用の最初の分は返してくれと言われました。

死ぬほど腹が立ちましたが
見返してやるという思いもめちゃくちゃ強くなりました。

三五とベロベロに飲んで、その人に電話してキレまくった夜は今でも忘れません。

今では、店舗を出すと言う経験値自体が、その人のおかげで早まったので、めちゃくちゃ感謝してます。

落ち着いたらその人とも酒でも飲みたいなと思います。

そんなこんなあって、
店舗を大きくする為にも
移転することになりました。

それが今の
03yardという豪徳寺の店です。

安定して売上が上がっているので
更に最大限まで売り上げを伸ばせればと思って
今も日々奮闘しています。

今年は+2店舗出します。
決めたことは必ずやるので必ず出します。

初めて借り入れをしたりもするので
不安とワクワクでいっぱいです。

こんな気持ちになれる仕事って最高だなということで、古着屋編終わりにしたいと思います。

最後に
自分でやってきて思ったことは、

大学2年生の時にインターンで飲食で働いてて
その当時から自分の店を持ちたいと言ってたのですが、

自分の上司とか先輩たちが仕事がめちゃくちゃ出来て凄い人だなと思ってるのに、自分の店を持ててなくて、
あまちゃんすぎる俺なんかが出来るのかなと自信が無かった頃がありました。

皆上司がいると、自分が小さく思えて何もできないかもしれないと思うかもしれないけど、

自分で始めれば、そんな上司全員小さく見える
と言う事が自分でやっていて気付きました。

中1の時の中3の先輩みたいなもんです。

だから、何かやりたい事がある人はそれに向かってどんどんやってほしいし
自分もそれを後押しできるくらいドンドンデカくなっていきたいなと思いました。

皆んなで前向いてやっていこう
という元体育会系の脳筋が出たところで
終わりにしたいと思います。

#古着屋 #起業 #経営 #古着

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