初投稿 「現代文」の学習と「倫理」の学習の”シナジー効果”

初投稿のご挨拶

皆さんこんにちは!会社員兼予備校講師(現代文)兼地元塾ボランティア講師をしながら、学参コンシェルジュとして「参考書情報」や「勉強法」を発信しておりますあべはやおと申します!!

今後はこちらの「note」でも情報発信をしていきたいと思っております!末永くよろしくお願いします。

はじめに ー夏休みの学習に向けてー

さて、「夏休み」ということで、私の独自の視点から各教科の勉強法をあれこれ話していこうと思います。

第一弾の今日は「現代文」という科目と「倫理」という科目の関係について!あまり語られてこなかった二つの関係性について、今日はしっかりと掘り下げていきたいと思っております。

「評論文」と「評論語」の知的世界

よく、国語の業界では「評論語」というものが取り上げられますね。

いわゆる、評論文の中で良く取り上げられるテーマやキーワードについて150~300語くらいを選んで詳しく説明する「キーワード集」の類がいろいろと出版されています。

※ ちなみに私がいろいろな文章を読み込んで感じたのは、250~300語位の語数をカバーしておくことで、高等教育に堪えうる「教養」の基礎部分を獲得できるということ。ここに(主に)大学に入ってからの「読書活動」を加え、自分の頭でそれらの言葉を体得することで、高等教育の「普通教育」や「専門教育」を学修する揺るぎない素地がつくられることと思います。

これらを学ぶことで術語=テクニカルタームとしての「語彙力」を身につけることが出来、「評論文」という知的共同体への参加資格をついに獲得。評論文を読むときに(比較的)スムーズに内容を理解していける=専門教育の基礎を身につけられるようになるわけです。

「評論文」と「倫理」の織り成す知的なシナジー

ここで僕が良く言うのが、「特に倫理をしっかり勉強しよう!」ということと「キーワード集に取り組むなら、意識的に倫理の勉強を兼ねてやっていこう!」ということです。

「現代文(評論文)」と「他の科目」の違いとは?

まず大事なことは、誤解を恐れず申し上げると、「現代文」という学問領域はないということです。「現代文」という科目は「普通教育」の範疇としての性格が強いからです!

古文は「日本文学」や「日本語学」(・「国語学」)、漢文は「中国文学」や「中国哲学」などと言ったような直接的上位の学術的専門領域が決められます。

しかし、現代文(以下、本文では狭義に「評論文」を指す)の場合は、「哲学」「法学」「経済学」「科学史」「大脳生理学」…というあらゆる学問領域の学びに堪えうる「普通教育」=「教養教育」の代表的な科目としての性格が強いものです。

「哲学」という領域が持つ、学問上の特別性

そんな中で、現代文では「哲学」的な話が良く出てきたりします。

例えば、有名な数学者としてのデカルトも「哲学者」だったし、同じく数学者で「モナド」論で有名なライプニッツも「哲学者」だったりしました。(この2つの場合は狭義の「哲学者」。)

このように、近代/前近代的学問の根幹では、「哲学的思考」が広く共有されていました。

彼らの時代は、今でいう専門分野をバラエティ豊かに飛び越えて、世界の真理を探究する、ということが当たり前の時代。狭義の「哲学」はその際、重要な意味を持っていたのです。

そうした伝統の上に立つ学術の世界では、この項目の冒頭記載のことは「自然」なことと言えます。

少し別の角度から。倫理でも現代文でも良くお目にかかる「マックス・ヴェーバー」大先生のお名前。彼は、法学者としてスタートし、経済学者に転身。その後も「ヴェーバー・クライス(輪)」をもとにして分野をまたいで活躍したドイツの生んだ、超のつく大学者です。
さて、彼はフライブルク大学というドイツの超名門大学の「経済学正教授」を務めていたのですが、彼の所属していた学部の名前は、なんと「哲学部」という名前でした。

「え!?経済学部じゃないの!?」と思うかもしれませんが、諸科学分野を統合した概念としての広義の「哲学」=「人間の営み/世界全体を理解する「人間学」・「総合」的な学問」という意識が、ヨーロッパの伝統的な学問観に根付いていることも触れておきたいですね。

「倫理」と「現代文(評論文)」との親密性

すると、「倫理」で学ぶ「主要な思想史」的な内容というのが、多分に「評論文」の議論の「前提知識」となっていることが多い、って言うことなのです!

なお付け加えると、ここで大事なのは、「科目に優劣はない!」ということ。「入試で大事だからやる」という理解から、だんだんで良いので「大学での学びの準備に必須だからやる」と思うようにしようね!!

すると、良く言われるような「倫理のような暗記系のものは忘れていくから直前に詰め込もう」なんていう考え方はナンセンスで、むしろ「早いうちから倫理+政経(政治・経済系の話題もめちゃくちゃ多いです。)に取り組んで、「思想の流れや概要」を理解する」ことが、他教科・科目の学びに良い効果を発揮する、ということです!

(細かい知識はおいおいつけていこう!)

「現代文(評論文)」と「倫理」との親密性

そして、「キーワード集」を学ぶときは、そこに「倫理(政経)」の学習をプラスしていきましょうっていうことです!!

例えば、クーンの「パラダイムシフト」の話っていうのは、「現代文」のなかで良く取り上げられる「科学論」とか「科学史」という分野になるワケですが、これは「倫理」でも良く登場する話です!

ただ、「倫理」だと「さらっと触れる」で終わってしまいがちなので、ここに現代文で内容をプラスオンしておくことで、両方の学びが主体的に「創造的」なものへと変容していきます。

「あ!これ倫理でやった!!」という「学びの統合」が、「学びの意欲」にかわり、「教養を伴う基礎学力」が身に付いた結果として、「(因果律に基づいて)自然と得点が上がる」という、教育的な「学びの循環」が実現できます。

「倫理」と「現代文(評論文)」の親密性の実演

だから、(TPOを考えてですが、)僕は自塾(ミュジーク・ガラージュ)では出来る限り「倫理」などの話を絡めて授業で話すようにしています。

例えば、センター試験で出題された、「確実な推論」を働かせる「演繹法」の問題としての「スネ夫とのび太」の「三段論法」の話などを少し例として絡めることで、「科目の内側にとじてしまわない学び」を意識した勉強の仕方を伝授しています!

今日のまとめ

ということで、高1・2の諸君で「倫理選択じゃない」とか「理系だから関係ない」なんて思っている人はもったいないよ!!高3生の「倫理」選択者はバランスよく勉強していこう!

21世紀の学びは、「専門主義」の近代科学の全盛期を経て「複合的・総合的な知」の時代に回帰しているのですからね。

ということで、「キーワード集」に取り組んで「効率的」に知識をつけることも大事ですが、

① 高1・2生で「倫理(・政経or「現代社会」)」の授業がある人は、その授業に進んで取り組もう。
「倫理選択者」は「細かい知識」は後回しで、思想家の「思想のエッセンス(一番大事なところ)」や「思想の流れ」を意識して全体を理解することに注目して集中的に学習してみよう。
③ その上で、分野別に問題を掲載してくれる現代文の問題集等で、関連する分野(「哲学」「政治思想史」「言語論」…)などの文章を読んで、「単語」的知識を「統合」された知識として磨き上げていく。

ということを実践してみて欲しいです!

おわりに

学んだ知識が繋がっていく快感」こそ、「学びの好循環」をもたらすのだと思います。と同時に、複数の科目の学習意欲を向上させることにもつながるのです。


さあ、みんなも僕と一緒にそんな体験をしてみましょう!

名古屋近郊の方は、こちらからご連絡ください!!

関西の方も、ぜひぜひ大阪での授業でお会いしましょうね!^^


初日ありがとうございました!Twitterを含めてフォローよろしくお願いします!!

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