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Day 59

City of Hopeの図書館近くにある像。私には彼の表情が読み取れません。
ちなみにその他備品の影響もあり割とリアルなので最初の2週間はいつも座っているおじさんなのかと本気で思っていました。(裸眼での観測)

苦しみは成長と共にあるのか

中学や高校でぐーーーんと背が伸びる時、ひざ関節の痛みに苦しんだ人は多いと思う。身長があまり伸びなかった僕でさえそれなりに痛い時期があった。

自分の感情や周囲の変化を認識した時、それが+であれ−であれ何かしらが起こる。或いはすでに起こっており、その結果としての変化の認識なのかもしれない。

僕の少ない20数年の人生だけを振り返っても、何か苦しかったり衝撃的な展開になった場合は振り返って成長があったと感じる。この発言はある意味で生存者バイアス、マッチョ的な思想に傾いてしまいそうではあるのだが、多くの人たちが口にする「無駄なことは何一つない」というマイルドな気持ちで語っている。

これを書いているのも、昨日の日記に書いた留学での傷心ともリンクしますが、元KARAのハラが自殺を図ったというニュースを見たのもあります。

人間社会で生きる難しさ。今の世界での自殺率の水位や薬物による死者などからも、私たちが抱える問題に医学的にどう関わることが僕はできるのか考えたいなと思う次第です。

失敗は当たり前だ

僕の場合、特に行動が先行するタイプなので失敗が多いかもしれません。

こちらの画像をご覧下さい。

一枚目が昨日、二枚目が今日の写真

スパゲッティーに冷凍ハンバーグ(パティ?)と卵焼きを加えた僕の晩御飯です。一枚目はお皿の選び方から始まる盛り付け、および写真の撮り方はイマイチで所謂”映え”に耐え得る写真ではありません。まるで昨日のテレビで放送されていたパシフィック・リムに登場する怪獣の顔面さながらに仕上がっております。対して二枚目は昨日の課題を修正して撮ったものでそれっぽい写真になっております。

ここで僕が言いたいのは2つ。1つは初めてのことには何かしらに欠陥が生じやすいということ。冷凍ハンバーグのフライパンでの加熱、目玉焼きの作成はアメリカでは初めてであり、焦げや加熱調整(つまみが日本と違う)に気を使った結果、最後の盛り付けまで配慮ができませんでした。
もう1つはSNSなどにポストされるものの大半は二枚目以降であり、日々の写生では必ずしもないということ。人間の様々な葛藤の一部には他者との比較が入ることが多いです。教育により日本人に多い傾向とかも言われたりもしますね。

自戒的な意味も込め載せてみましたが、このロコモコ・スパゲッティー現象はありふれているのかなと思います。

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