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私は今日も会議に出る、洗濯物を畳みながら。

本日はこちら。

家事優先なときもある

パソコンの画面には、誰かのパワーポイント、これから15分は、どうせ「説明を聞くだけの会議」みたいな会議、ありませんか?

そんなとき私は、Bluetoothイヤホンにして洗濯物を畳んでいます。

説明しているその人と、説明を聞いて理解してコメントする側の上司との関係性においては、ちゃんと重要な会議だったりします。でも私からすれば、最悪聞いていなくても実害はない話だったりします。でも、ちゃんと聞いて、将来の糧にしようと思えば、参考になる部分はある情報であったりします。

しかし、「これは会議である必要がないのではないか」と言われれば反論は難しいところです。正直、べつにスライドさえもらえれば、それでほとんどのことは理解できるし、チャットで上司がコメントを返してくれれば、どのような意思決定をしたかも、後追いで理解できます。

命名:CC会議

思うのですが、これは「CC会議」とでも名付けたら良いのだと思います。TO:上司、CC:チームメンバーというメールを、多くの人が見てきたと思いますが、これの会議版が「CC会議」です

コロナになって、こうしたCC会議はまっさきにオンライン会議化されました。CC会議がオンライン化されて、在宅勤務で出席するとなれば、私のイヤホンは、Bluetoothイヤホンなので、ミュートであることを10回くらい確認した後は、トイレに行ったり、ずっと座っていると血行が悪くなるので体操の時間に充てたり、雨が降れば洗濯物を取り込んだり、ピンポンが鳴れば宅配便も受け取れるようになりました。IKEAの家具を組み立てながら参加しようか迷ったことさえあります。

かつて、オンライン化される前夜は、みんな会議室に集合しないといけませんでした。ですが、電話が鳴れば、必要に応じて、そちらを優先して出てしまいます。平然と内職も行われていました。

オンラインかどうかはさておき、いずれにせよ、実際上は出入り自由な会議なわけです。もちろん、表立って出入り自由とは言えませんが、でも、「緊急の電話です」と言ってしまえば、いくらでも外に出ることができた。

だからと言って、CC会議が本当に無駄かと言えば、これはとても難しいです。まず、新人や中途者にとって、初めのうちは、そもそも自分の職場はどんな仕事をする必要があるのか、同僚の発表を通じて理解できます。また、上司にどのような報告が必要か、上司がどのような点を気にするのか、ということも理解できます。当然、職場の雰囲気の理解も進むでしょう。

ある程度のベテランであっても、知らないこと・興味のあることを学ぶ機会もある程度はありますし、本気でお節介する気力があれば、コメントすることも可能です。人に教える、一緒に議論することは、もちろん大きな学びとなるでしょう。

そして、内職した方がより良い時間になる場合は、内職すればいいし、サボりたければサボればいい。そういう、全部の選択肢が取れるCC会議が、無駄かどうかを判断するのはとても難しいところです。

一番問題なのは、全員に集中を強制する会議です。こういう会議は徹底的に参加者に価値(何かしらの決断が行われる、新しいアイデアや深い示唆が得られるなど)を与えるものでないといけません。

主催者は覚悟を持って、会議を開催する必要があります。

ゆるい会議

一方で、ゆるーい会議を、ゆるーい縛りでやること自体は、ひとつのカルチャーとしてあり得るのではないかと感じます。一昔前までは、私は、以下の記事にある、『「非効率な会議」を問題視する』人間の急先鋒でしたが、最近は考えが変わってきています。

確かに何も決まらない、説明のための準備にやたら労力がかかることは問題です。なので、こうした問題自体を変えていくことは大事だと思います。ただ、コミュニケーションはグラデーションであり、何が公式ばった会議で、何が雑談か?という定義は、できないし、しなくて良いのではないかと思うのです。雑談のような会議もあり得るし、会議のような雑談もあり得る。

そうした、有象無象のコミュニケーション、失敗前提で様々な形のコミュニケーションを早く回し切ってしまうべきだと思います。正しいとする会議論は捨て去る。正しさなど諦めて、さっさと相互理解できる方法を具体的に見つけることに時間を割いた方が良いように思うのです。

結局、どういう形だと相手が心を開き納得し事が進むのかと言えば、それは相手次第です。であるならば、あらゆるシチュエーションの中でコミュニケートするしかないわけで、ある程度無駄っぽい事が、相手にとっては進めるキーならば、受け入れてしまった方が、良いように思います。

CC会議など、曖昧な会議の典型だと思います。でも、曖昧だからこそ、自分なりのルールの中で説明をしてみたり、聞いてみたりして、相手とのズレを確認する会議にもなり得るし、何かを試す場として機能するようにも思うのです。挑戦に怖さがないのも大事です。失敗してもギャラリーは「CC」です。再挑戦もできる会議なのです。そして、どうしても役に立たなければ、出席しながらもサボれるという、調和だけは残しておけるという、ゆるさです。

こういう余白を本当に取れているのかどうかです。

余白があるのであれば、「徹底的に効率的な会議」を、「徹底的に効率的に進める」ことが可能になるでしょう。

徹底的に効率的な会議の実現には、無駄で非効率で失敗してみる機会を日常的に持っておかないといけないと思っています。

ということでまた。

#日経COMEMO #その会議必要ですか

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