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エッセイ#5『格闘技が好きだ』

僕は先日、アマチュアキックボクシングの2戦目を戦いなんとか勝利する事が出来た。正確には肘なしのアマチュアムエタイルールだが、まああまりルールは気にしていない。

練習していたジャブ、膝、そしてローキック。どれも殺傷能力は話にならないが、それでも全ての技を使う事が出来たし、尚且つローキックを効かすことも出来た。自分でも驚くほど冷静に試合を進めらて、試合中なのに思わずにやけてしまうほどだった。

昨年12月のデビュー戦も勝利はしたものの、荒が目立って路上で起こる喧嘩のようだったし、考えていた作戦もほんの少ししか実行できなかった。「ジャブ」「ストレート」「ミドルキック」というよりはただひたすら前に出て「殴る」「蹴る」と言った感じ。気持ちで勝つとかそんな立派なものでもない。ただ視界は極端に狭くうっすら相手の顔が見える程度だったから、当時の自分にはそうする事しか出来なかったというのが正しい。

なんとか勝利したは良いものの、戦っていたのが自分ではなかったように思える非現実で、終わった直後は勝った実感が全くなかった。全身に力が入らないし、吐き気がする。夢の中にいるみたいに目の前が白くぼやけて、意識を保っているのが辛かった。こんな思いをして勝った実感がないなんて、もうやめようかなと本気で思った。

それなのに3ヶ月後、再び試合に出場した。

今回の試合は視野も狭まらずに相手の全体がしっかり見え、防御の後に攻撃を返す事も出来た。もちろん倒すチャンスもあったので課題だらけだが、前回に比べれば大きく進歩したと思う。

デビュー戦では何もかもが初めてだった。練習と試合は別物だと言うけど、人を倒そうと思い切り力を振り絞った相手の圧はどんな練習でも体験する事は出来ない。ましてや応援してくれる人やギャラリーがいるとなると下手に下がってはくれないし、気持ちが折れる事も滅多にない。そして緊張から来る体力の消耗もある。

だがそれらを1度経験した事で、試合に向けてのあらゆるイメージや練習自体がより鮮明に実践的になり、二試合目を冷静に動けたのではないかと思う。やっぱり何事においても鮮明な「イメージ」は大切で、そのためにも経験がどれほど重要なのか身に染みて感じた。

周りにサポートされながら試合に向けて体力作りのキツイメニューをこなす時間。試合前日勝ちパターンを考えながら「やってやるぞ」と音楽を聴き散歩する時間。試合直前、シャドーしながら集中力を最大限に上げる時間。そして今までの自分を信じて覚悟を決め、リングに上がり相手と対峙する瞬間。そんな全てが最高に楽しい。

僕が普段憧れる格闘家たちと、規模は小さすぎるけど同じ世界にいる。向こうからしたら一緒にするなって感じかもしれないけど、僕が憧れた選手たちもこの道を通ったんだって、ほんの少し近づけたかもしれないと思うと、僕はそれだけで胸がいっぱいになる。

試合が終わった直後は喜びというより達成感や練習の成果を出せた安心感が強い。だが少し時間が経って家族や友達、バイト先の人、そしてトレーナーや練習仲間たちに祝福される事でようやく勝った事を実感し、爆発するほど嬉しくなる。人に「おめでとう」と言ってもらえる事自体が滅多にない経験だし、死ぬほど疲れるにも関わらず、もう一度試合に出たいと思ってしまうのはそんな理由もある。

よく格闘技をやっていて「怖くないの?」「なんでそんな痛い思いしてやるの?」と聞かれるが、自分でも分からずうまく返す事ができない。確かに痛いし、苦しかったり怖い時もある。「これで食って行くんだ!」という気合いもないからどうしてかと言われると難しい。

でもやっぱり好きな選手やトップレベルの試合を目の当たりにすると、技を試したいし、そんな選手たちになりきりたい。だからなんとなくジムに行きたいし、せっかくならまた試合に出てみようかなと思う。そして何よりジム居心地が最高に良い。

エッセイだってたまに「なんでやってるのかな」とか「これで結局何になりたいんだろう」って意味もなく思い詰めたりするけど、なんとなくここに居場所があって楽しいから続けている。色んな要素があるとはいえ、やっぱり僕の周りのものは「なんか楽しいから」というのが答えなのかもしれない。 

まあとにもかくにも、綴りきれないほどの幸せが僕を形成していてその一部に格闘技がある。練習の成果を出して試合で勝つ事が出来た。そしてそれを僕の経験としてこんな風に文章を残す事が出来た。そんな全てが何よりも嬉しい事なんだ。


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