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エッセイ#2 『忘れられたクリスマス』

2023年のクリスマスは強いて言えばよく寝られたくらいだった。世間が2024年のスタートダッシュを続々と切っている新年早々、僕の捻くれた脳はクリスマスを思い出した。

小さい頃からサンタさんにはゲームのカセットからPlayStation Vita、任天堂3DSなど高価なものばかり貰っていた。サンタさんはさぞかし困ったと思うけど、それでも絶対に頼んだ物と違うおもちゃが来た事はなかった。子供心にサンタを一眼見てやろうと、親に内緒で寝たふりをしていた時には枕元ではなく玄関にプレゼントが置かれていた。そんなクリスマスを過ごしていたから何度友達に「サンタさんは親なんだよ」なんて教えられても存在を疑う事は心からなかった。僕の家に来ていたサンタクロースのプロ意識にはもはや頭が上がらない。

そんな恵まれた僕なのに気がつけばひん曲がった脳みそになった。学生の頃、恋人のいない友達と都会のイルミネーションに行った。僕はカップルで溢れかえっている事を想定した上で「俺は異端児だ」と言わんばかりのデカい顔をしていただろう。そして人混みは嫌いだとも言ってみた。冷やかしにもならない嫉妬心である。

そんな僕も少しは成長して、人を妬むのは辞め、1人で街のクリスマスの装飾を観賞するためだけに出掛た。普段は眠っている高級なグラスにコーラを入れ、『ホーム・アローン』を見て全力で楽しんでみた。確かに楽しかったけれど、振り返れば「クリスマスはひとりでも楽しめるものだ!」と意地を張っていたのような気もする。最近はそんな救いようのないクリスマスばかりだ。

そして去年に至っては「クリスマスは決して特別ではない」と言わんばかりに記憶に残っていない。人の変化というのは実に早く、1ヶ月経っていない自分が既に哀れに思える。

そこで僕は去年の分を取り返すように、1月にも関わらずエッセイのテーマをクリスマスとした。書き進めて今に至るが、本来クリスマスとはこのように、1月から徐々に考えていくのが正しいと思い始めた。クリスマスの近い12月付近で急に騒ぎ出すのは、まるで有名になってから突然連絡する人のようだし、過ぎ去れば知らん顔はクリスマスに失礼になってしまうのではないか。

なんてどうしようもない事を考えてはまた哀れになる。今年は先が危うい。そんな風に色んな言い訳を並べてみたが結局クリスマスは特別で、何歳になってもその時の自分で無邪気に楽しんでいたいというのが本音だ。

「映画のようなクリスマスを過ごしたい」とまで言うのは現実味が無くて怖いが、毎年毎年今まで通り楽しめればそれで十分だろう。ただここだけの話、こんな僕でもいつの日かサンタクロースになれたらと密かに希望を抱いたりもしてしまうから、また救えないのだ。

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