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「だって」を受け取る

子育て関連のコーチングの投稿で、

「子どもの、"だって"を聞きましょう。そこにはいっぱい想いが詰まっているから

というようなのをみました。
「ふーん」でも、「へぇー」でもいい、「言い訳をするな」と言わず聞きましょう、という感じ。

"だって"と子どもが言う前には、たいてい、「どうして〇〇したの?」みたいな質問があるのではと思います。

そんな時は、イラッとしちゃってたりするわけで、冷静じゃないことが多いこともあると思うけど、それでも、子どもの思いが詰まった "だって" を聞くことの大事さもよくわかります。

なぜ想いを聞くことが大事なのかなというのが、体験から腑に落ちたことがあったので、記したいと思います。

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旦那さんとのやりとり?からの気づきがありました。

私は人に要望や気持ちを伝えるのがあまり得意ではなく、たとえ、「そこに使ったティッシュを置きっぱなしにしないで欲しい」みたいなちっちゃい要望も言うのにかなり勇気がいります。

でも結婚生活にはやっぱり色々お願いしたいことがあって、靴下は脱ぎっぱなしにしないで欲しいな、とか、トイレで飛び散ったら拭いて欲しいなとか、勇気を出して10%くらいは伝えてたと思います。

で、その度にね、返ってくる反応は、無。

目も合わない。
言葉もない。
なんなら聞いてない感じでタバコ吸いに行ったり携帯触ってたり。

私はいつも悲しかったんです。要望ばっかり言ってる、大したことないことをやって欲しいという嫌な人間になった気分になってました。
だから、自分の気持ちを伝えると悲しいから我慢する方がマシと思ってた。

そんな時に、最初に書いた「だってには子どもの想いがいっぱい詰まってる」と言う言葉に出会ったのですが、やっと気づいたんです。

気持ちを伝えると嫌な人間になっていく気がしてたけど、そうじゃなくて、想いを拾ってもらえなかったことがとても悲しいんだって。

大阪の知人と車に乗って初めてのところを走ってもらってる時、私が何か話すとまず、「ほんまやな」って返事をしてくれてました。
何か嬉しくて、「あそこにロッテリアがあるね」って言ったらそれにも「ほんまや」って返してくれます。
私はこの受け取ってくれる感じに、心からの安心感を感じた気がしました。

子どもの"だって"も、私の"ティッシュを捨ててほしい"も、誰かに伝える"好き"も、"ロッテリアがあるね"も、反応が無であれば、自分がそこにいないのと同じような感覚になってしまうのだと思います。

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子どもからの”だって”は、言い訳に感じることもあってなかなか聞くことは難しいのかもしれないけれど、もしかしたら、「だってじゃない!」って怒り返したとしても、反応がないよりはいいのかもしれないけれど、私がロッテリアで感じた安心感のように、「そっか」「そう思ってるの」というような受け取ってもらった感じがあると、きっとその後が変わってくると思います。

想像できると思います。自分が「だって!」って言ってるとき、心は固くなって、きっと身体も固めてると思います。相手からの反論があるに違いないとどこかで分かって、身構えてるような感覚。その時に、「うん、うん」と話を聞いてもらったら、心が柔らかく、身体も力が抜けてくるのではないでしょうか。その時には、受け取ってもらっていることへの安心感を感じているんだと思います。

一旦受け取る。受け入れなくても、受け取る。
そんなことが、相手への信頼感自分への信頼感、安心感・・・ざっくりいうと、自分のことが好きでいられるかに繋がってくるとても大事なことだと思います!



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