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結局は自分を知ることが一番安心する

人との関わりにおいて、なんとなく居心地が悪かったり、安心できなかったり、焦ってしまったり、傷ついてしまったり、落ち込んでしまったり、怒りが湧いてきたり・・・。
なんで、あの人はあのような態度をとるんだろうか?
なんで、あんな風に言うんだろうか?
あの人は、私がどうしたらご機嫌よくいてくれるんだろうか?

などと、人のことが分かりたくて、色んなことを学びました。

あの人は、「こう感じている」が分かるととても便利だと思ったし、それが分かると自分の対応を変えられるかもしれないと思っていました。

学んできたものはどれも、まずは自分がどんな人か知りましょうということでした。そして、家族や気になる人のことも知ることが出来ます。
家族は、こういう人なんだ。気になる人はこういう人なんだ、と知ることはできても、結局うまく使うことがいつまでもできませんでした。いつの間に、自分への理解を忘れ、他人への理解だけになっていたんだと思います。


そんな日々を経て、結局は自分を知ることが一番大事なんだということに落ち着きました。

人が発したとある言葉に、笑う人もいます。でも、一方で、傷つく人もいます。態度も同じで、気になってしまう人もいれば、何にも感じない人もいます。

人のことを知りたくて学んだものの中で、ある人は「そんな、私なんて全然そんなすごくないよと言いながら、褒めてほしい、褒めても褒めても褒め足りないくらいなんです」ということを知りました。
確かに、「私なんてそんなでもないよ」とよく言っています。
じゃぁ、書いてあるようにほめちぎってみたらいいんだけど、私の中の何かが邪魔をして、めんどくさく感じてしまいました。他人のことを知っても、行動できなかったんです。

結局自分なんだなぁと思って、「私の中の何がそうさせているんだろう」という問いを投げても、長い時間考えることがなかなかできませんでした。

自分を知るというのは、すぐに答えが見つかるものでもないし、自分だからこそ厄介だし、まぁ時間がかかるし、見つけてもまだ、見つけきれない自分がいる、ていうくらい一人で見つけるのは大変かもしれません。

でも、そうやって自分を知ろうとして、小さな自分の心の動きに少しでも気を付けてみると、何かに気づくときがあります。

人と比べてる自分、あんな小さなことにくよくよしている自分、出来てないと思われているかもしれないと気にしている自分・・・
そうやって気づく自分は、大抵、自分がそうありたいと思っていない自分だったりします。

あんな小さなことにくよくよしている自分・・・。かっこ悪いし、私はそんなの気にしないという自分でいたいのに、、と受け入れたくなかったりもします。でも、ただただ、「あんな小さなことにもくよくよしちゃうんだなっていうだけ」です。最初ちょっとだけ抵抗あるんです。心のあたりがもぞっとします。でも、そうなんだなって思ったころには何かすっきりしてます。

1つずつ、そうやってると、とても時間が足りないような気がしますが、それくらい自分のことは未知なんだと思うし、一個ずつ自分に対して自分が分かってあげてる安心感が増えていくと思います。それって、とっても強いし、太く感じます。安心感があったら、どんな未来が待っているでしょうか。

私が感じる世界は、私のフィルターを通した世界。自分が感じてるように見えるんだと思います。
だからこそ、自分をちょっとずつ知っていく。そこが大事だなと思います。


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