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木からリンゴをもぐ姿

「効果的なセックスアピール」とか「モテる方法」とかそういうものをみると、私は嫌気がさしてしまう。面倒臭いというか…押し付けられる感じがなんとも嫌なのだ。でも、今回は、さじを投げずに、この課題に向き合ってみようと思う。今回のオードリー先生の言葉は、これだ。

「セックスアピールというのは、心の深いところで感じるもの。見せるよりは、感じさせるものなのです。」
山口路子.『オードリー・ヘップバーンの言葉』.大和書房,2016,30p

セックスアピールとは、「色気」を意味する言葉だ。ネットでそれを検索すれば、その効果的な方法や、NG事例など、とても丁寧な教えが次々と出てくる。「異性」を魅了するという、男女二元論で語られることが多いこれらの教えは、誰かに媚びて、その人が求める女らしさというレッテルを自ら貼り付けることを意味しているように見える。

巷にあるセックスアピールの指南書に従って振る舞えば、私は、完全に演技をして相手と関わることになる。好きな人の前でそれを続けることは、私には、とても苦しいことだ。きっといつかはボロがでる。

しかし、オードリーの語るセックスアピールは、押し付けられた苦しいイメージとは異なるようだ。それは、自分じゃない誰かに、魅力的だと思ってもらうため外を飾り付けることではなさそうだ。それは、好きな人の前に屈服したり、媚びたりするものではなく、自分が既に持っている魅力を最大限まで引き揚げ、自分を表現することなのかもしれない。

すると、セックスアピールに関するお手本や指南は山ほどあるが、結局なにがアピールになるかは、ひとそれぞれということになる。オードリーは、グラマーなスターがヌードで表現することを、自分なら木からリンゴをもぐとか、雨のなかに立っているということで表現できると言った。彼女は、彼女にしか感じさせることのできない色香の表現を持っていたように、10人いたら、10通りの表現があるはずだ。

自分の中にある一番熱い部分を見極め、それを外に引っ張り出し、自分が思う自分の魅力を相手に「感じさせる」ことがセックスアピールになるのだとしたら、自分じゃないセクシーな誰かを演じるのは、とても的外れな行為だ。これでもう、モテの◯箇条ってものを気にして着飾り振る舞う自分に、おかしくて吹き出すなんてことはない。誰かと比較せず、自分らしさを追求すればいいのだ。

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