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7歳の「キャリア・パスポート」への違和感

先日、小学2年生の娘が「キャリア・パスポート」なるものを持ち帰ってきました。キャリア・パスポートの中身は「好きなこと」「がんばりたいこと」「大人になったらどんな仕事をしたいのか」「なぜ、その仕事をしたいのか」を子どもが書いて親がコメントする、というものです。

このキャリア・パスポート、小学校から始まり高校まで引き継がれるそうです。ファイリングして毎年振り返り、キャリア教育に生かすそう。

私はこれを見た瞬間、違和感をおぼえましたし、うっすらと怒りすらわきました。なぜか。

好きなことは社会の役に立たないといけないのか?

娘は絵を描くことや工作、読書、虫を観察することが好きです。なぜ好きなのか?「楽しいから」だと思います。見ていると夢中になってやってます。「ご飯だよー」「お風呂の用意ができたよー」という声も聞こえてません。

そんなただただ「好き」なことに理屈や理由は不要ですし、見通しなんていりません。3か月後には飽きてしまうかもしれないですし。「○○が好きだから大きくなったら○○になれるね」なんて、余計なお世話です。社会の役に立つから勉強するのか、好きなことは社会の役に立てないといけないのか。何だか「役に立つ人になれ」という圧を感じてしまうのは私だけでしょうか。

何の心配もなく、役に立たないこと、楽しいことに夢中になれるのは子どもの特権だと私は思っています。大人になってから、子どもの頃の楽しい思い出に支えられることも多々あります。

小さなころからピアノを習っていた友人がいます。友人はピアニストでも音楽教師でもありません。それでも友人は大人になって家を出た後、辛いことがあった時、自分で電子ピアノを買って思いっきり弾いたそうです。それで救われたと話していました。ピアノを習っていたから、好きだったからといって全員がピアニストや音楽教師になる・なれるわけではありません。それでも習ったことや好きだったことが無意味ではないはずです。

「夢」は持たないとダメ?

そして、夢中になれることが見つからない子や夢を探している途中の子どももいるのでは?と思います。そんな子どもが学校で「夢がない」「好きなことが見つからない」と肩身が狭い思いをしないかも気になります。

子ども時代は種まきの時代だと思います。いろんな出会いや体験を通して引き出しを増やす時期ではないでしょうか。まだそんなに引き出しがない状態で「何が好き?」「夢は何?」って問う意味は何か。大人に都合のいい夢を持たせたいのかと邪推する私は性格が悪いのかもしれませんが。

大人だって好きなことがなくて無趣味な人は大勢いるし、目標がない人だってたくさんいるはず。「好きなことは?」「将来の夢は?」って聞かれ続けたら、正直かなりわずらわしいのではないでしょうか。私だったら「ウザい」と言うと思います。子どもなんだから、夢くらいこっそり、のんびりさがしてもいいはずです。おおっぴらに大人に言いたくない夢だってあるはずですし。

夢が叶えば幸せなのか

あと、夢が叶ったら幸せとは限りません。ソースは私です。私は本を読むことが好きで、新聞を読むことも好きで、世の中の役に立つ仕事がしたいと思い、新聞記者になりました。結果、向いてなくて辞めました。

後悔はしていませんが、幸せだったか?と問われると微妙です。やってみて「向いてない」「無理」ということもあります。

夢を叶えるのはゴールではなくスタートです。叶って後の方が長いのも覚えておいて損はないと思います。夢を叶えるのは素晴らしいことですが、叶え続けるのは簡単ではないこともあります。

未来は誰にも分からない

それに未来は誰にも分かりません。時代の流れの中で無くなってしまう職業もあるでしょうし、新しく生まれる仕事もあると思います。私が子どもの頃、YouTuberやWEBライターという仕事はありませんでした。将来、子どもが今は存在しない仕事をしている可能性だってあります。

また、仕事だからと始めたことに手応えを感じておもしろくなったり、人にお願いされることが天職だったりすることもありますし。

夢を持て。役に立てって。うるせーよ

乱暴ですみません。でも、言いたいことはこれに尽きます。私は社会の歯車にするために娘を育てているのではありません。夢まで学校で管理していただかなくて結構です。

きちんと自立して、まっとうな仕事をして生きていってほしいという希望はありますが、娘が幸せであることが一番大切だと思っています。

むしろ、夢が叶わなくても、自分にOKを出してたくましく生きていける、そんなタフさが必要ではないかと。人生は思い通りにはいかないこともありますから。

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