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大長編の探検ごっこ

初めに書いた記事で、
僕の全盛期(小学生時代)
について書いたのですが、その続きを書こうかなと思います。

僕はまぁすくすくおばあちゃんに蓄えさせていただきながら成長していったのですが、

その当時の写真がこれ。

通称、「貴乃花の息子」と言われていましたが、
もはやそれ以上。

この時が小学校6年生。

そして僕は次のステージへ(中学生)

まず部活を決めなければならなかった僕は、
部活見学を一通りしました。

ですが僕に運動なんてできない。
むしろしたくない。

でも女の子が多い部活には入りたくなかったのです。(吹奏楽部など)

僕の思っていた運動部のイメージ↓
野球部→なかった
バスケ部→自分がボールになりそう
サッカー部→キーパーしかやらせてもらえなそう
テニス部→テニスコート広いし動けない
陸上部→走りたくない
バトミントン部→女子が多くて恥ずかしい

そう、これが僕の部活に対するイメージである。

その中で唯一の希望の光が見えた、、、

それが、卓球部。

僕のイメージでは、コートが小さいので、どの部活に比べても動く範囲が少ない。

コートの隅から隅まで半歩くらいで届く。

基本がラリーを続けることが多く。

毎日の練習がイージー。

即入部届を出しました。

部活も決まり、適当に部活やって、楽しく中学生過ごすぞ!

と意気込んでいたその時、発覚した。

他の部活の成績で言うと、サッカー部、バスケ部は良くて県大会ベスト8くらい、テニス部は県大会ベスト4、陸上部は市大会レベルだ。

そして卓球部の過去の戦歴を見た僕は鳥肌が立ってしまった。

卓球部だけ毎年全国大会出場。

おわかりいただけただろうか、

あれだけ動きたくない、部活やりたくないと思っていた僕が、1番厳しい、過酷な部活にいつの間にか入部していたのである。

この現実を受け入れられない僕は、とりあえず卓球部として過ごしていくことになった。

僕が中学生の時の卓球部のイメージと言ったら、
最悪のイメージだった。

オタクっぽい。
ユニフォーム、ダサい。
イケてない人が入る部活。

今となってはこんなイメージする人は少なくなってきたけど、僕の時代はそうだった。

今卓球部に入りたかった切実に。

いざ始めてみると、卓球部員全員で体育館を走っていた。

そう、お決まりの「連帯責任」ってやつだ。

僕の入っていた卓球部は不祥事を起こす先輩が多く、毎週のように全員走らされていたのだ。

1番走りたくないと思っていた僕が、まさか陸上部よりも走ることになるなんて、誰が想像できただろうか。

昔から太っていた僕は体も大きかったが、プライドも高かった。

顧問の先生に
「走れないなら途中でやめていいからね」

プライドの高い僕はそんなことはできなかった。

でも気持ちはあるけど、体がついてこない。

デブの典型的な例である。

その時、

僕のハートに火をつける出来事が起こるのである。

そう、

卓球部に僕と同じ考えをして入部してデブがいたのである。

自分では考えたくもないが、
鏡で自分を見ているかのようであった。

「このデブには負けたくない」
(自分もデブだけどね)

この気持ちが僕の人生を変えることになるのである。

余談ではあるが、そのデブの人は邦夫という名前で、
みんなに
「くにお、逆から読むとおにく」
といじられていたのを覚えている。

話は戻って、毎週のように先輩の不祥事のおかげで走らされていた僕は、食生活は変わらなかったのにどんどん痩せていったのである。

僕の卓球の強さについてはマニアックすぎてわからない方も多いと思うので省略。
聞きたい人は教えます。

そして、中学校3年生の時がこれだ。

別の人だよね?

と言いたくなるくらい

マジで誰?

ってなりますよね。

中学生になってから小学校に遊びに行って先生に挨拶行こうぜー!

みたいなのに行っても、

誰1人僕のことなんて覚えてくれる人なんていませんでした。

悲しい。

僕が、「及川ですよ!及川凌雅って名前です!」

と名前を言ってもわかってくれなかった。覚えてくれていなかったんだって悲しくなりました。

1人だけわかってくれる人はいたんですけどね。

1人だけですよ。

6年間通って。

とまぁちょっと痩せて変わった僕のお話でした。

どのくらい変わったかというと、

小学校6年生
身長 164センチ
体重 100キロオーバー測定不能

中学校3年生
身長 176センチ
体重 65キロ

こう数値にして見ると太ってたんだなーと実感。

リバウンドしないようにがんばります。笑