神崎蘭子ちゃんの日時計

 表計算ソフトの操作を学ぶ授業だった。「いいですか、皆さん」と先生は言ってキーボードを叩いた。

「このセルに関数を入力して、エンター。すると」

 先生がキーをタイプした次の瞬間、セルに入っていた数値がスッと動いて、演算がなされた。セル内の数値は一瞬で変わって、異なる値になった。

 蘭子はそれを見たとき感動したのだった。数値を入力して適切な関数を適用すれば、コンピュータは複雑な処理を瞬時に行い、数値は簡単に変わる。そのシンプルさに蘭子は惹かれた。キーボードをぽちぽち打つだけで、コンピュータはこちらのやりたいことを速やかに反映してくれるのだ。表計算ソフトの挙動は無駄がなく美しい、と蘭子は感じた。

 パイロットになり、初めて天使と戦ったとき、蘭子は表計算ソフトの動作を思い出した。適切な間合いをとって、適切なタイミングでトリガーを引く。そうすれば銃口から弾丸が放たれて、天使に命中する。シンプルなアクションだ。蘭子は指をちょっと動かしただけにすぎない。

 その戦い方で蘭子はずっと戦ってきた。そしてずっと勝利し、戦場から帰ってきた。神崎蘭子はまるで魔法を使ったかのように鮮やかに敵を打ち倒す、などと周囲から言われることも多かったが、蘭子本人としては「我が戦いの作法は異能の力によるものではなく、戦いの場において最も正しい漆黒の機動を選択しているに過ぎない。我の戦いは我が紡ぐ秩序によって組まれた闘争である」としか言えなかった。別にマジカルな力を振るっているわけではなく、最適な位置に移動し、最適な状況下で攻撃しているだけなのだ。

 魔法というのは現実を超えた力であって、人間にはなし得ない芸当だ。表計算とは違う。蘭子が思う魔法とは、世界そのものを変えるもので、直角三角形を五種類作ったり、死者を蘇生させたり、無限に燃える炎を召喚するものだ。物理法則に縛られた者では操れないパワーであり、蘭子はそのパワーに魅力を感じる。そう感じるからこそ自身の力は魔法とは異なる、普通の人間が行使できるテクニックに過ぎないのだと蘭子は魔法の力に憧れつつ自分の中で回答を出していた。

 いま蘭子は死にかけていた。チームを組んで進軍している途中に天使たちが奇襲を仕掛けてきて、蘭子はいつも通り的確に天使を撃ち、走り、また撃った。チームメイトのスコアより三倍多く天使を殺したし、弾薬の消耗も極限まで少なくできた。しかし、そこへさらに天使の増援がやって来て、蘭子のチームに襲いかかった。近距離での戦闘となり、敵味方が入り乱れて撃ち合い斬り合った。その最中にチームのメンバー一人が天使の斬撃を受けて姿勢を崩し、蘭子機に向かってライフルをぶっ放してしまった。その誤射によって蘭子の機体の右腕はちぎれ、手に持っていたライフルごと吹っ飛んだ。蘭子は滅多に被弾することがなかったから、これは予想外の傷であり、蘭子の機動のリズムが乱れた。表計算にエラーが出てしまった。

 戦いの中で、他のチームメイトは倒れていき、天使たちは一人生き残っていた蘭子に集中攻撃を仕掛けた。蘭子は懸命に反撃したが、徐々に追いこまれ、天使の矢を受けて機体の駆動系を破壊された。脚部の人工筋肉が損傷し、もう蘭子機は立つことすらできなくなった。さらに続けざまに攻撃を受け、蘭子の機体は大破寸前となった。

 ここで自分は死ぬんだなと蘭子は思った。コクピットの中に警告音が鳴り響いている。間近に迫った死に蘭子はおびえ、心臓が激しく脈打った。もっと生きたかった。死ぬのは怖い。逃げたくても動けない。機体から脱出しても、天使に潰されてお終いだ――そのとき通信機から声が聞こえた。

『……こちら、川島チーム! 生きているんでしょ、返事をして、神崎蘭子さん!』

 次いで射撃の音が響き、弾丸が蘭子機の周りにいる天使たちを貫く。蘭子はボケッとその様子を眺めていた。なにが起こっているのかよくわからない。

『こちら久川! 大丈夫? はーたちが助けに来たよ~』

『こちら的場。アタシらが来たからにはもう安心よ!』

 コクピット正面の戦術マップを見ると、友軍機を示すシンボルが三つあった。助けが来たのだ、と蘭子は今更気づいた。三体の友軍機は蘭子と天使たちの間に入り、華麗な攻撃で天使を撃破していく。計算通りにいかなくてもなんとかなるんだなと、蘭子は目を閉じて息を吐いた。生きて帰ることができると感じると急に泣きたくなってくる。救援が間に合ったのは誰かが使った魔法の力が起こした奇跡なのかもしれない。これからも蘭子は戦いを続けられる。

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