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鷺沢文香さんの視界

 文香は忙しかった。人気アイドルとしてステージに立ち、歌い、踊り、テレビ番組に出たりインタビューの対象になったり、いろんな仕事をこなし、周囲から高い評価を受けた。
 いろんな仕事をこなすのは疲れるし、忙しいということは自由に使える時間が減ることを意味していたが、仕事を通じて成功体験を重ねていくと自分は悪くない出来栄えのアイドルなんだと自信がつき、熱心に励むことができるのだった。
 プロデューサーも仕事で出会う人々も「鷺沢さんの歌唱力はなめらかで美しい」とか「周囲に穏やかな雰囲気をもたらしてくれる人。そばにいるだけで心地よい」などと褒めてくれる。文香はそんな言葉を耳にしながら、じんわりと、暖かい気持ちになり、元気を得ていた。

 特殊音楽集団と呼ばれるジャンルのアーティストたちがヒットチャートをにぎやかにさせ始めてから三ヶ月ほど経った。十代から二十代あたりの若者世代を中心に人気を得た特殊音楽集団に分類される者たちは、それまでの日本のアイドルやバンドが手がけてきた楽曲とは異なる、その名の通り特殊な歌とサウンドを前面に出していた。二十字しか歌詞のない、それでいて感動的な歌。同じコードを延々と繰り返すだけなのにリズムに乗って身体を動かしたくなる曲。ギターを思う存分かき鳴らす、熱くて混沌とした演奏などなど。
 その特殊で自由なスタイルと、一方で確かに美しさをちゃんと感じさせる内容を兼ね備えた特殊音楽集団をメディアは大々的に取り上げた。
 特殊音楽集団に属するあるバンドのヴォーカリストはインタビュー記事でこう言っていた。
【現代は多様性の時代じゃないですか。だったら音楽のスタイルだって多様であったほうがいい。だから僕たちや、ほかの特殊音楽集団って呼ばれてる人たちは自由に、自分の思うままに音楽を創って、個性的なものをたくさん並べたい。多様性は自由であるということですよ。みんなそれぞれ違った意見を持っていて、それを無視するのはよくないと思います。僕らの音楽がごちゃごちゃしてわかりづらい、聞きづらい、っていう人もいるけど、僕たちとしては、それは多様性を視界に入れていない、つまらない人たちに見えるんです】

 文香は特殊音楽集団がリリースするCDの売上を注視しながら、落ち着かない日々を過ごしていた。文香は特殊な音楽より耳になじみやすいノーマルな音楽のほうが好きだ、と考えていたし、それで仕事の成果を出してきたのだった。そんな自分は多様性を受け入れない異端者なのだろうか。その日、文香はプロデューサーと話をする機会があったので、言ってみた。
「プロデューサーさん、特殊音楽集団について、どう思われますか? 私はどうもあの方々を好意的に見ることができなくて……」
 プロデューサーは文香のモヤモヤした気持ちが乗った言葉をかき消すように、ニコニコして言った。
「特殊音楽集団の人たちが言うように、多様性というものがあったほうが健全な状態である、というのは正しいと思いますよ。日本の音楽シーンの中にいろんなタイプの曲がある、カオスな状態のほうがおもしろいでしょう」
「そうですか……」
 そのカオスな状態になじめない自分はつまらないのか、と文香は思う。自分もまた多様性を持たなければ、正しくないのか。
 プロデューサーは言った。
「でも、ただ多様なだけではあまり意味がないでしょう。多様性があって、いろんな楽曲がある中でも、これが好きと聴く側が言えなければ、意味がない」
 文香はその言葉を聞いて、少し沈黙してから言う。
「聴く側に届かなければ意味がない、ということですね」
「そうですね! まあそういうことで我々もがんばろうじゃありませんか! イヤッホー!」
「は、はい」
 プロデューサーはなぜこうも元気なのだろうと思いながら、文香は頷いた。

 数ヶ月のち、ネット上で議論を展開している、ある著名な音楽ライターが特殊音楽集団を批判する記事をブログに投稿した。記事は素早く拡散し、多くの反響を呼んだ。反響の内容は賛否両論だったが、どちらかといえば記事に賛同するものが多かった。文香もその記事を読んでみた。
 【特殊音楽集団の作る楽曲の賞味期限は短いだろう】とその記事は述べていた。【なにかしら特殊なスパイスをまぶしただけのサウンドは人々の心に長く残らない。日本には長年蓄積されてきたすばらしい音楽の美しさがある。特殊音楽集団の曲を賛美するのは日本の音楽の歴史を軽視することであり、王道を行く楽曲を否定することである。一風変わった音楽をリリースして多様性はすばらしいとアピールするよりも、楽曲に真面目に向き合い、きちんと努力して良い曲を作っていく姿勢が評価されるべきだ。特殊音楽集団は全力を尽くしていないと私は思う。選択肢をずっと横に広げるより、選択肢の中でひときわ輝くものを作るのが、全力を尽くすことである】
 その記事の言っていることは正しい、とみんなが判断したのかどうかははっきりしないが、特殊音楽集団の作る曲の売上は徐々に下がっていった。以前は新鮮なサウンドとして聴かれていた楽曲も、数が増えるごとに特殊性は薄まり、たくさんある音楽の一種、というレベルへと落ちていった。特殊音楽集団の活躍は鈍化していき、活動を休止するアーティストも現れ始めた。
 人気のあったアーティストが脱落していくというのはライバルが消えていくということで、その点は文香にとって商業的に好都合といえば好都合だった。
 しかし文香はいまひとつハッピーにはなれなかった。特殊音楽集団の曲は多様性を推進した。それはいままでマイナーだった分野を開拓したとも言えるし、みんなが見ていなかったものを見える場所に置いたということでもある。それは文香にはできなかったことだ。そう思うと、文香は寂しかった。

 その後しばらくしたころ、呼び出されてオフィスに来た文香へプロデューサーが企画書を渡した。文香はそれを読む。かなり昔に流行った、特徴的な声色の男性ヴォーカリストが率いるバンドが手がけた曲のタイトルが書いてあり、それを文香がカバーして歌う企画、となっていた。
「鷺沢さんもいろいろ仕事をこなしてきましたが、今回の企画はちょっと変わってますよね。でもぜひやっていただきたい! 鷺沢さんならきっといいカバー曲に仕上がりますよ!」
 ハイテンションなプロデューサーに文香は少し戸惑いながら思ったことを言ってみる。
「これは、私の歌の射程を広げる企画なんですね。歌ったことのないジャンルに触れる、という。うまくいくでしょうか……」
「うまくいかせればいいんですよ! まあ、私は鷺沢さんの射程を広げるというよりレイヤーを増やす仕事だと思いますがね」
「レイヤー、ですか」
「鷺沢さんの中にいろんな種類の歌が入っていたほうがおもしろいと思いません? 鷺沢さんに求められるものが多様になっても、それらに対応できるほうがいいでしょう」
 多様、という言葉が文香の頭の中に入ってくる。自分の中に多様性が注入される。そういう企画になる、のかもしれない。文香は小さく頷く。
「わかりました、プロデューサーさん。この仕事、やってみます」
「そう来なくっちゃ! さあ、詳しい話をしましょう!」

 文香の仕事が始まった。最初は困惑することばかりだった。どんな声色がピッタリなのかわからなかったし、やや過激な内容の歌詞をどう唄っていくかもわからなかった。自分の中に歌を取り込むことは難しかった。
 それでも練習しているうちにこの曲のことが好きになってきた。自分にとって特殊なジャンルな歌だと思っていたが、繰り返して唄うと意外にも自分の性格に合っているようにも思えてくる。もしかしてプロデューサーはそれを見越していたのかもしれない。
 自分にとって多様性を得たり、出力していくのはこういう形のものなんだと文香は気づいた。自分とは違うものを自分の中に入れて、さらにそれを生み直すこと。いわば、再生産すること。
 多様性を好きになりつつ、自分の声でなにかを言っていくこと。それが文香の表す音楽だった。
 カバー曲はCD化して発売されることになっていたが、ライブでこの曲をやってみてもいいのでは、とプロデューサーがあるとき言ってきた。
「CD発売と連動して、ライブで歌えばよりセールスも期待できますし、話題にもなるでしょう。鷺沢さんにとっては最高じゃないですか!」
 プロデューサーは元気一杯に言う。文香は言った。
「いいアイデアだと思います。お客さんはどんな反応を示しますかね」
 ライブでこのカバー曲を歌うとき、自分の視界になにが映るだろう。文香はそう思って微笑む。

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