大石泉ちゃんの音
自分の歌がヒットチャートを賑わすなんて、アイドル活動を始めたばかりのころはまるで夢物語だった。しかし経験を重ねた泉は人気アイドルの座を勝ち取り、CDをリリースすれば多くの売上と声援をその身に受け、最新チャート常連の歌い手となった。
泉はそこまでの結果を出した自分に満足した。満足したのが問題だった。一流のアイドルに成って、これで己の人生はオーケーなのだと思うと向上心は削られていったし、大量の仕事をそつなくこなせるようになると、心から楽しんでアイドル活動をやろうというわくわくする気持ちは薄れていった。
ほかに、なにか胸躍る仕事はないのかな、と泉はずっと考えるようになってきた。楽しくて新しい、いま自分のいる世界の外にありそうな仕事。
所属するプロダクションで次のライブの打ち合わせを終えた泉は飲み物を買うために自動販売機が置かれている休憩室へ向かった。いくつかのテーブルと椅子が据えられた休憩室に入ると、同僚のありすが隅っこのテーブルについていた。スマホと、スピーカーを接続したiPodが卓上に載せてあるのが見える。近寄ってみると、スピーカーからは人気ロックバンドの楽曲が流れていた。ありすはスマホを凝視している。
スピーカーはスマホの方に向けられていて、まるでスマホに音楽を聞かせているようだった。なにか儀式めいたことをしているありすに泉は話しかけた。
「ありすちゃん、なにしてるの?」
「ああ、泉さんですか。見ての通りゲームをしているんですよ」
ありすは視線を泉に移す。スマホに向き合っていたのでゲームをしているのはなんとなくわかっていたが、なぜスピーカーが置いてあるのかがわからない。ありすはスマホを手に取ると、泉に渡した。
「音DOKEモンスターというタイトルのゲームです。略して音モン。楽しいですよ」
「どんなゲームなの?」
スマホを受け取った泉は画面を見る。そこには虹色の翼を生やした可愛らしいドラゴンが表示されていた。いろいろな数字やゲージも見かけられる。これがドラゴンのステータスなんだろうと予想がついた。ありすは言った。
「どんなものかというとですね、このゲームを起動させたら、音楽を聞かせるんですよ。そうすると、ユーザーが所持しているモンスターが強化されていく。モンスターに音楽を食べさせてレベルアップする、という感じですね。強いモンスターを作るには、たくさん音楽を食べさせなければなりません。でも、同じ曲を食べさせ続けていても、あまりモンスターのステータスは伸びないんです。だからできるだけ多種多様な音楽を食べさせたほうがいいんですよ」
それでスピーカーをスマホに向けていたのかと泉は理解した。キャラクターを育成するスマートフォン向けゲームは無数にあるが、音楽で育てるというのがこのゲームの新しいところなのだろう。
泉がありすにスマホを返すと、ありすはさっきまでとは違う曲をスピーカーから流した。するとスマホの画面上でメッセージが出てきて、ステータスの数値がプラスされていった。
「こうやって、どんどん強くしていくんです。食べさせる音楽のジャンルによって、どう育つかも変わっていきます。テクノばかり食べさせているとメカっぽいモンスターになりますし、ポップスをメインに食べさせるとキュートなモンスターになります」
「強くしていって、ほかのユーザーと対戦する要素もあるのかな」
「オンラインでの対戦は当然あります。育て上げたモンスターで勝負に勝つと、もう気が狂う程気持ちいいんです。泉さんもやってみませんか?」
ありすの感想はうさん臭かったが表情は真剣だったので、泉はありすに従うことにした。なにか楽しいことがありそうなら、なんでもやってみよう。
「そうね。楽しそうだし私もインストールしてみようかな」
「是非ともインストールしてください。フレンドと一緒にプレイすると特典がもらえる要素もあるんですよ。泉さんのモンスターがどう育つか、いまから楽しみですね」
ありすは満足げに微笑んでいた。
家に帰ると泉は音DOKEモンスターをインストールしてみた。いくつかの初期設定を終え、与えられたモンスターを育ててみる。まずは音量を大きくさせたiPodにヘッドフォンを繋げて、それをスマホの近くに置いた。手持ちの曲を一曲再生させると、モンスターはニコニコした表情になって飛び上がった。「すばやさが3アップ! まりょくが5アップ!」という表示が出て、ステータスの数値が変わっていく。マニュアルを読むと、それぞれのステータスが戦闘時に与えるダメージや回避率や命中率に関わり、上昇させればそれだけ強力なモンスターへと成長するし、聞かせる音楽の種類によってはモンスターは特殊なスキルを習得することもある、と書かれていた。
それならモンスターにもっとたくさんの音楽を聞かせたいところだが、いくつも聞かせるには時間がかかる。入浴して夕食をお腹に入れて今後のスケジュールを整理して手帳にまとめたらもう眠る頃合いになることを考えると、音楽をモンスターに聞かせるのは明日に回したほうがよさそうだ。今日はこのへんで切り上げることにした。
次はどんな音楽を聞かせようかと思案しながら泉は眠った。
翌日からも、バラエティ番組に出たりサイン会を開いたり歌ったりと泉は様々なアイドル活動に励んだ。空いている時間には音モンをプレイした。自身のニューシングルがリリースされたときにはその曲をモンスターに聞かせた。モンスターは喜んで画面狭しと踊り始めた。泉はモンスターが喜ぶと自分もニヤニヤしていることに気づいた。少しずつ、わくわくした気持ちが泉の中で高まってきていた。音モンはゲームに過ぎなかったが、日常にアクセントを与えてくれた。泉のモンスターはすくすくと育っていった。
そうして仕事をこなしつつゲームを遊んでいたある日、ありすから電話がかかってきたので、泉は応じた。
『もしもし泉さんですか。大変なんです』
ありすの声は切羽詰まった感じだった。何事かと思い泉は問うた。
「いったいどうしたの?」
『実は明日、音モンの全日本大会が開かれるんです。全国から強者が集まってモンスターを戦わせるんですが、私もエントリーしていまして、絶対優勝したいと思っていまして』
ありすはずいぶんと音モンのヘビーユーザーと化しているようだった。日本一を目指して戦うくらい夢中になっているとは。
「ふむふむ、それで?」
『もう手持ちの音楽を全部モンスターに食べさせてしまったんです。でも、もっとステータスを上げなきゃ優勝はできません。泉さん、なんとかなりませんか? 泉さんのプログラミング技術でチートコードを入力して一気にモンスターを強化するとかできませんか?』
「そんなことやったら反則負けでしょ……」
『いやいまのは冗談です。なんとかしたいのは確かですけど』
泉はそこで思いついた。突然発想が落ちてきた。
「だったら、ありすちゃんの曲を聞かせればいいんじゃないかな」
『いえ、私の歌も全部食べさせてしまいましたよ。もうお小遣いもあまり残っていませんから、新しくCDを買うこともできなくて』
「そうじゃなくて、ありすちゃんが楽器を演奏して、それをスマホに聞かせるのよ。かなり前のことだけど、事務所でリコーダーの練習してたよね、ありすちゃん。リコーダーをモンスターに聞かせてみれば?」
『ああ、なるほど! それやってみます! ありがとうございます! では失礼します!』
そこで通話は切れた。これで話は終わりかよいきなり電話かけてきていきなり切るなよと泉は呆れてもいたが、少し不思議な気分も抱いた。ありすに言った、自分で楽器を使ったらどうだ、というアイデアはふっと湧いた興味深い回答だった。
ただ音楽を聞かせるのではなく、自らが演奏した曲をモンスターに聞いてもらう。それでモンスターが強くなったりうれしい態度をとってくれたとしたら、なかなかおもしろいんじゃなかろうか。そういう遊び方もできるゲームなのだ。自分の手で発した音でモンスターを成長させていく、泉はそんな遊び方をしたいと急に思い始めた。
後日、泉が電車に乗っていると、スマホにありすからメールが届いた。
『全日本大会、優勝しました。勝てたのは泉さんの助言のおかげだと思います。ありがとうございました。次の大会もあるようなので、次回も優勝を目指そうと思います。重ね重ねありがとうございます』
そう綴られたメールを読んで、泉は苦笑しながらも優勝を称える返信を送った。目的地の駅で電車から降りると、泉はショッピングモールに向かった。目当ての店はモールの七階にあった。エスカレーターで七階まで上がると、泉は行きたかった店――楽器屋に入っていった。
楽器屋に行くなんて初めてだ。ギター、ベース、キーボード、ドラムセットが店内にずらりと並んでいる。お客さんの中には売られているギターを試し弾きしている人もいた。控えめに言ってめちゃくちゃ上手い演奏だった。
泉はカウンターに近寄って、店員に話しかけた。
「あのう、初心者でも弾きやすい楽器ってありませんか。なんでもいいんですけど」
店員は泉がアイドルであることに気がついていた。
「大石泉ちゃんだ! まじで!? リアルの泉ちゃん!? ウチの店に来てくれたの!? えっ、ちょっと待って、もしかして楽器始めるんすか?」
「ええ、ちょっと興味があって」
「そうすか……初心者向けの楽器はそこそこあるっすけど、個人的にはZO3ギターっすね。こちらへどうぞ」
店員の案内でギターが並んでいるコーナーに行くと、普通のギターより一回り小さく、丸っこい形のエレキギターが置いてあった。
「これがZO3ギターっす。コンパクトだから弾きやすいんですよ。アンプも内蔵してます」
泉はZO3ギターを眺めた。並んでいるほかのエレキギターと比べるとちっちゃくてパワーに欠けるような印象もあったが、親しみやすいというか、手にすればジャカジャカ気楽に弾けそうな感じもした。
「これがおすすめなら、これにします。会計お願いします」
「わかりました。ピックと弦はサービスで付けときます。あっ、泉ちゃん、サインもらっていいっすか?」
「いいですけど。ああ、ついでにギターの手引き書とかも買いたいんですが」
「了解す。おすすめを選んでおきます」
泉はソフトケースに入ったZO3ギターとピック、弦、ギターの入門書をゲットした。店員が色紙を持ってきたので泉はサインを書いた。「これずっと店に飾るっす!」と笑顔になった店員と別れ、泉はゲットしたギターたちを家に持ち帰った。
帰宅して、泉は入門書の最初のほうを読んで、ギターをチューニングした。そして音モンを起動したあと、ギターを弾いてみた。とりあえず3フレットをおさえて5弦を弾く。「ド」の音が出た。それを聞いたモンスターは全然喜ばなかった。ただひとつの音を出しただけだから当然だ。続けて4弦の開放弦。「レ」の音が出る。モンスターは興味がなさそうだ。そのままミファソラシと続けて弾いてみる。するとモンスターの素早さが1ポイント上昇した。
泉はうれしくなってきて、今度は入門書で紹介されているパワーコードを弾いてみた。低くて力強いサウンドが出るはずだが、かっこよく鳴らそうと思っても、初心者の泉では美しい音は出ない。しっかり弦をおさえ、ミュートしてピッキング。パワーコードを聞いたモンスターは攻撃力が1ポイントだけアップした。
泉はできる限りギターを弾いてモンスターを育てることに集中していたが、そのうちになぜこのゲームをデザインした人は、モンスターが音によって育つ、というシステムを採用したのか、そこに疑問が生まれてきた。
泉が音楽を与えるからモンスターは喜ぶ。それは情報の送受信で、コミュニケーションだろう。音楽という媒介を経て両者はコミュニケーションをする。音楽はメッセージであり、楽器はそれを送信できるデバイスだ。
世界のどこにいてもギターは弾けるし、その音色はどこで弾いても変わらないだろう。はるか昔に創られたクラシック音楽が現代になって偉大さが損なわれることもないだろう。音楽は、場所と時間の両方で通るコミュニケーション手段とも言えそうだ。つまり音楽は世界共通の、メッセージを伝える言語だ。
泉は歌もダンスも一流のアイドルだったが、自分で音楽を奏でたことはなかった。手を動かして楽器を弾いてみる。そこから世界にアクセスできるメッセージを送ることができる。それは泉の身体の中から出てくる新しい力だ。この力を多くの人に届けたい、泉はそう思った。この演奏を練習すれば、新しい形で誰かの心を動かせるようになるんじゃないか? 一流アイドルの中でも、少し興味深いアイドルになれるんじゃないか? そう思うと、楽しい気分になってきた。
泉はおぼつかない演奏を繰り返した。モンスターの各ステータスはそれぞれ1ポイント伸びた。それ以上はステータスアップしなかった。
二週間ほどあと、泉は休憩室でミネラルウォーターを飲んでいた。隣の席に座ったありすはいちごミルクをストローで吸っていた。ありすが言った。
「もうすぐ事務所にいる子たちを対象に、アンケートをやるそうです」
初耳だった泉は聞いた。
「事務所のみんなに対して、アンケート? なにをするの」
「アンケートをとって、みんなが持っている技術を見極めるそうです。それによって、その技術に合致したお仕事が流れてくるっていう仕組みですよ」
「技術……なにができるか、なにが得意か、っていうのを調べるのね」
「ええ。まず書面でホニャララができますと書く。その後実技を見せられる者はプロデューサーや事務所の偉い人の前で発表するそうです」
「そっか……じゃあ私はギターができるってアピールしてみようかな」
「えっ、泉さんはまだギター初心者じゃないですか。Fのコードも上手くおさえられない程度でしょう。それで仕事が回ってきますかね?」
「ありすちゃんって、現実をしっかり見る大人っぽい女の子なんだね」
「クールな判断力の片鱗です。でも泉さん本当にギターでトライするんですか?」
「ま、挑戦したいなって思うのよ。新しいことに」
「ならがんばってください。私は音モン日本一という点をアピールします」
そしてアンケート用紙に「特技はギター演奏です」と書いて提出した泉はプロデューサーに声をかけられ、実技を見せてほしいと言われた。プロデューサーと事務所の上層部の人間たちの前で、泉は覚えている技術を全て使ってギターを弾いたが、決して優れた演奏ではなかった。そのまま特に良いところもなく実技は終わった。泉は悔しい気持ちだった。自分の新たな力はまだ弱いのだ。
それから一ヶ月ほどたったころ、泉は新しい仕事のオファーをもらった。プロデューサーから書類が手渡された。書かれた内容を読んで泉は言った。
「ギター指導番組の弟子役を私がやるの?」
「はい。ギター講座をウェブ上で配信することになりまして、大石さんには師匠からギターを学んでいく弟子の役割を担当してほしいのです」
プロデューサーは泉を見て言った。
「やってみますか? 大石さんくらいの技術を持った人が、中堅ギタリストになっていくという企画です。大石さんはすでに大活躍しているアイドルですから、このような初心者役をやるのは不服かもしれませんが」
「やってみる」
泉は答えた。もっとギターを弾けるなら本望だ。たくさんの人に自身のメッセージを届けるために、腕前を鍛えたい。プロデューサーは頷いた。
「頼もしい返事ですね。では詳細をお話しします――」
「うん、なるほど……これは……」
泉の仕事が始まった。
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