見出し画像

自分の着たい服を選べない人たち

友人は、自分の服も選べないそうだ。

どんな服が可愛いか、自分ではわからないというのだ。

だから店員の意見や、周りの人の評価を聞いてから買うという。

この服が、自分に似合うとか、自分の好みだから欲しい、というのではなく、

客観的に見られてどういう評価になるかを気にしている。


彼女に関してはファッションセンスが悪いと思ったことは一度もないし、

これまで見て着た服もほとんどが似合っていると思う。

だが、よく聞けばそのどれもがすでに他人が選んで買ったものだったりする。

どうも、何事に関しても自信がなさそうだ。

彼女がそれについて話す時に、

頻繁に「世間一般」という言葉を口にしていた。

だが、彼女にとっての世間一般とはなんなのだろう。

彼女は一体、誰に見られているのだろうか。


世の中には他人からの評価を過度に気にする人がいる。

服、メイク、持ち物、会話の内容、付き合う友人、恋人、

学歴、勤め先、家族、家、車、知名度など、

何においてもステータスやカーストのようなものがある。

私たちは、私たちの価値を決定づけるようなものに取り囲まれていて、

それに常に囚われている。

この呪縛は何よりも強力で、私たちはそれにいつも苦しめられている。


そのあと話をよく聞けば、彼女は周囲の人物と自分を常に比較しているらしい。

よく遊ぶグループの女子の中で、

一番頭が悪くて、不細工だと思っていると言った。

確かに小さなグループの中で自分がどの立ち位置か比べてしまう気持ちはわかるし、

グループ内での自分の順位を考えることは私自身ある。

だが、それでも、その中でも私の個性であったり、

一番だと思えるものがあるなら、自分に自信を持ってもいいんじゃないかと思える。


だがそれでも彼女は他人と比較することから逃げられない。

彼女自身は、顔が綺麗でネットで有名になった親友と自分を比較しては、よく自虐に走る。

他人が持っているステータスと自分の持っているステータスを、比べてしまうのだ。


この生き方は辛い。

自分の評価が絶対評価ではなく相対評価の時、

永遠に他人と比べることから逃げられないからだ。

自分よりも優れている人はどんな環境でもごまんといて、

そんな人たちと自分を比べ続けてしまうとキリがないのだ。

そのまま過ごせば、一生他人と自分を比べ続け、劣等感を抱いたまま死んでいくことになる。

自分にとって何が最善かわからずに、他人の評価を気にし続ける人生。

自分の好みの服も、似合う服も分からない人生。

他人の評価や判断を仰ぎ生き続ける状態では、

それは誰かの第二の人生を生きている状態になってしまう。



私たちは確固たる自信を持っていいはずだ。

一番幸せなのは、一切の評価を気にせず、

自分らしく生きることなのだから。

一番望ましいのは、

自分の着たい服が自分で選べることなのだから。


私たちは、周りよりも、足元をよく見て歩かなければならない。

他人の目線を気にしすぎるあまり、自分というレールを踏み外さないように。

そしてもう、私は大丈夫だと思ったら、前を向いて歩いていけばいいのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?