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自分らしい就活とはなんだったのか

実は内定が決まっていたのはだいぶ前の話なのだが、最後に残った他社の面接を終わらせて正式に終了した。

これでも実はそれなりにちゃんと就活をしていた。

大学3回生の初めから、説明会やインターン選考など早めに活動していたので、このような緊急事態になる前にはすでにほとんど就活が終わっていたのが幸いだった。


大半の人が就職活動を経験したことがあると思う。

就職活動では、自分が公の場で誰かによって評価される。

能力はあるのか、人柄は好ましいか、その会社で働けそうか、社風に合いそうかなどを徹底的に判断される。

一方的な評価が下される状況で、精神的な平静を保ち続けなければならないこの就活は、自分とのメンタルの戦いになる。


就活で連想することといえばあまり楽しいことはなく、

むしろそのほとんどが不穏だ。


皆一様に真っ黒い髪色と、真っ黒なスーツ、真っ黒なカバン、真っ黒な靴。

合同説明会で、蟻のようにうじゃうじゃと歩き回る就活生達。

他人を蹴落とそうと、我先にと手を上げてアピールするグループディスカッション。

自分を偽り、本心を偽り、気持ちの悪い笑みを浮かべて受ける面接。

企業から送られてくる心無い無機質なお祈りメール。

落とした理由を一切明かしてくれない人事。

一旦落とされてしまうと、自分はもう社会から必要とされてないような心地。

メンタルを保とうと励めば励むほど、空回って、

さらに負のスパイラルに陥ってしまう。


消耗し、消費する就活に向き合わないといけない時点で詰んでいるのは分かっていた。

だから私は小さな反抗を繰り広げた。

自分らしい就活をしようと、心に決めたのだ。

極力就活はスーツを着ずに、私服かオフィスカジュアルにした。

それでもスーツ指定の時は、せめてもの抵抗としてピアスをつけて、髪をおろして普通にメイクをして挑んだ。

面接では極力ありのまま話をした。

それで落とされても全然構わないと思った。

そんなことで落とす会社にはむしろ行きたくないと思っていた。

私を正当に評価してくれる会社は、中身を見てくれると信じていたからだ。


だがそのように心をくくっていても、それでもやっぱり就職活動は少しずつ心を削っていった。

そのように見た目や話し方で少し反抗をしたりしても、

なんだかんだで自分が一番体裁を気にしているのだ。

興味がなくても面倒でも、いい加減な態度をとるのはやっぱり怖い。

あまり興味がなくても、他が受かるとは限らないから、興味のあるふりをして選考を受けなければならない。

なんだかんだご機嫌取りをしてしまう自分がいたのだ。

よく就職活動が楽しかったなんて抜かす人がいるが、

そんな人たちは神経が鬼のように図太いだけだ。


他人の意思や思惑が介入するこの就職活動で、私らしい就活とはなんだったのか。

就職は不特定多数の人たちの意思が介入し、入り乱れる。

私がどれだけ私らしい就活をしようとしても、絶対に誰かの思惑はそこに入る。

そして何よりも、自分自身が最もその思惑を意識してしまう。

私らしさを、自分で殺してしまうのだ。


自分だけではない。

私を採用した面接官は、私の何を評価したのだろうか。

私を採用した会社は、本当に私の価値を見定めたのだろうか。

そもそも私に、価値はあるのだろうか。

その答え合わせをすることは、今はできない。

自分らしい就活の答えは、後にならないとわからない。









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