人を好きになること/優しさと感謝の理由
私は純粋に"人が好き"
でもそれが時に人を傷つける。
なるほどなぁ…と納得し
「中途半端な優しさが傷つける」
という言葉と向き合ってきたここ数年。
「なんで皆に優しくするの?」
ときどき聞かれるけれど、
優しくしているつもりもないし
優しくなりたいという気持ちもなくて
その時に感じた感覚で動くことが多い。
好き/愛おしい/素敵/感動/大切
という感覚が
笑顔がみたい/会いたい/守りたい/
そばにいたい/応援したい/助けたい
という行動を引き起こす
人や物を全体像ではなく
「ここは好き/苦手」とパーツで見ていて
大抵、どこかの部分が"好き"に当てはまるから
最終的に俯瞰して見た時に
"人が好き"という感覚になるんだと思う。
よく知らない人、"苦手"が多い人の中にも
"好きな部分"は見つけられるし
褒めたり、応援することもできるので
八方美人、主体性がない、計算高い、
腹黒いなど"裏がある"と言われたり
「愛や感情は変わるものでしょう?」
と怖がられたこともあるけれど
"好きが嫌いに変わる"
という単純なものではないし
愛そのものは変わらない
損得勘定やモテたい/好かれたい
という感覚があまりないので
(損な性格だと言われるけど)
「俺、めっちゃモテてるねんで」とか
「付き合ったら何でも叶えてあげる」とか
口説いてくる人に全くときめかなったのは
(むしろちょっとひいちゃう)
そこの部分の感覚にずれがあるから。
いろんな職業、役職、立場はあるけれど
一緒に居る時はお互い"ただの1人の人間"。
他の人がその人をどう思っていても
(良くも悪くも)
私は「知らんがな」なわけです。笑
その感覚を共有できる人かどうかが大切で
"皆が欲しがる俺"なんて別に要らない。
"私が好きな貴方"であることに価値がある。
もちろん自分が好きになった人も同じように
自分を好きでいてくれたら幸せだし
苦手だったはずの部分まで愛おしくなり
"全部大好き!"に変わることもあるけれど
それは自分が誰かを先に好きになって
後からついてくるものだと思う
恋愛もそうだけど、相手がどうかではなく
自分が人を好きにならなければ始まらない
"中途半端な優しさが傷つける"のなら
ずっと笑顔でそばにいられるように
もっと深く愛せるように強くなろう。
最終的に出た答えは、それでした😊
同じように、よく言われるのは
「お礼を言うのはこっちなのに、なんで?」
というセリフ。
(会話の中で必ず"ありがとう"を伝える私)
理由はシンプルで
嬉しい気持ちになったから「ありがとう」
相手の存在、行動、気持ちに「ありがとう」
「自分がしたかっただけだからお礼とか要らない」
って言われたこともあるけれど
お礼を伝えるキッカケは
"してもらったこと"に対してじゃなく
"自分がどう感じたか?"が基準です
優しさや感謝の言葉の裏に
なにも深い理由なんてないから
「なんで?」って考えずに
素直に受け取ってもらえると嬉しいな🥰
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