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[恋愛小説]1978年の恋人たち... 6/横浜・ホテルニューグランド

外は夏の直射日光が厳しいが、現場事務所の製図室のクーラーの効いた部屋は快適だった。
同じ研究室の有村昌が紹介してくれた、小田急線新百合ヶ丘駅前の土地区画整理事務所のバイトは、基本計画図の色塗りだが、涼しい部屋での作業というだけで、良かった。1978年頃、今のようにエアコンは普及していなかった。家庭にも1台あれば、良い方で、優樹の部屋にも勿論無かった。だから日中、涼しい部屋でバイトが出来るのは、嬉しかった。

計画図の色塗りをしながら、優樹は昨日の事を思い出していた。
案の定、美愛のご両親へのご挨拶は、余り歓迎されて無かった。特に木工所を経営する父親は無愛想な対応だったし、母親とは、二言三言の会話で、その内容も余り記憶に無い。脇で、美愛は心配そうに、時々援護射撃をしてくれるのだが。
最後は「又来ます」と言って、ほうほうの体で逃げ帰るように美愛の家を出た。今思い出しても、冷や汗がでる。

9月には、優樹の実家に、美愛を連れていく番だった。事前に母親には、事情を説明し、頑固な父親に、下話を頼んではいたが、旨く行く確信は無かった。優樹はやはり、自分達の漠然とした気持ちと将来像だけでは無理だと、美愛の両親への訪問で分かった。明確な将来像や決意が必要だと、痛感した。

卒業後すぐに結婚ではなく、ある程度社会人としてやっていける目安が付いたら、という風に持って行くのが、上策だろうと考えた。
美愛にも、そう話をした。美愛はどう考えているのか聞いたら、最後は自分たちで決めれば良いのよ。と平然としていた。やはり、こういう時は、女の方が度胸があるのだ、と優樹は美愛を見直した。

来週は、美愛が湘南に行きたいと言う。最近、中古のホンダ車を買った美愛は、運転が面白くなってきたようだ。どうも親に借金をしたらしい、毎月少しずつ返していると言っていた。事故以来ペーパードライバーの優樹は、茨城から南台の桃花荘まで自動車で来るという、美愛の度胸に驚いた。

7月の末の土曜日の早朝、南台の桃花荘前に、美愛の赤いシビックが止まった。4時に石岡の家を出て、今着いたという。まだ常磐自動車道は工事中である。国道6号、環七を来たと言う。優樹はいそいそと助手席に乗り込み、道路地図を見始めた。
環七から246,第三京浜を行く、最初は混んでなかったが、戸塚あたりから渋滞が厳しくなる。それでも10時過ぎには、湘南海岸につく。

水着に着替えた美愛は素敵だった。思わず暫く見とれてしまった。
「何みてんの。」微笑みながら恥ずかしそうに言う美愛。
「いや、別に。」と視線をそらす優樹。
でも日に焼けると言って、素肌を露わにはしないのが、残念だ。二人で砂浜に座り、たまに水際で膝まで海水に浸かった。唯それだけで楽しかった。
「予約しておいたね。」優樹が言う。
「有難う。」
「大変だった。お母さんにお願いして、お父さんを説得して貰ったの。」
「大丈夫だったの。」
「お母さんは、分かってくれたけど、お父さんはね、それから話もしないの。」

その晩、優樹が予約していた横浜のホテルニューグランドに泊まった。有名な建築家・渡辺仁が設計した戦前の面影が残る重厚なホテルは、チャップリンや著名人が宿泊したことでも、知られる。優樹は何処かで調べてきたらしい。
初めての夜は、特別な時、特別な場所にし、ふたりの記憶にしたかった。そう優樹は思っていたし、美愛はそんな優樹の優しさが嬉しかった。

部屋に入ると美愛は母親に電話をしていたが、優樹に変われと言う。
電話口の母親は「お願いします。」とだけ言って電話を切った。
美愛「なんて言ってた?」
優樹「特に。」
美愛「ふーん…。」

優樹は、美愛が初めてだったことを、その時知った。バスタオルを下に敷いてほしいと美愛が言う。
終わるとそのピンクの染みが付いたタオルを恥ずかしそうに、洗面所に持って行く美愛がとても愛おしく思えた。

美愛は洗面所でタオルを洗いながら、自分が大きな川を渡ったと思っていた。これで良かったのだろうか。まだ一抹の不安はある。まだ学生の彼に、今はまだ自分の将来を完全に託すことは出来ない。でも、自分に結婚しようと言ってくれた、初めての人とこうなった事に将来の幸せを託してみたい。誰からか言われた幸せでなく、自分たちで選んだ幸せにを二人で進んで行きたい。彼だけに頼るのではなく、彼に支えて貰いながら、彼を支えながら、これから歩いて行きたいと。

それが、1978年の7月末の出来事だった。



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